こんばんは、Hiranoです。
本州からは桜や梅の便りが聞こえてきましたが、今日の釧路は雪国に逆戻り(><)
桜・紅葉前線の時期には特に「日本って長いな~」と思います。
さてこちらは先日、子どもの登園時に出合った”猫ちゃんたち”です。
この子はいつもこうやって外に繋がれています。
あまり私には心を開いてはくれないですが^^;;・・・可愛いです。
こちらのおチビちゃんは「な~に勝手に写真撮ってるのよ~」って表情に観えますが(笑)
ゴロゴロ甘えた声で寄ってくる可愛い黒ちゃんです。
このように私は外で猫ちゃんを見付けると
コミュニケーションを取ろうとする一見、
怪しい人になります(笑)
私は子どもの頃からずっと猫ちゃんと一緒に生活してきました。
猫ちゃんの存在は大きな”癒し”です。
家の中でなにか”心が凍りつくような状況”の時に・・・、
例えば…一般的には
いつも両親が怒鳴りあっていた とか、姑が嫁(母)の悪口をいつも孫に言う とか。
親に叩かれる とか、父が母をいつも叩くのを見ていた とか。
親の泥酔を日々ハラハラして見ている とか、お金の不安・不満を大人が話しているのをいつも聞いた、とか。
お前は駄目な子だといつも言われる とか、外に出された とか。
母が父の悪口をいつも子どもに聞かせる とか。父の女性問題 とか。
これら、ほんの一例ですが
これらの事は子どもにとっては”心が凍り付いてしまう状況”ですよね。
子どもがノビノビと育っていける環境とは言えないと私は思います。
そしてこういった時に子どもは自分の考えをしっかり言葉で表現できないので
”心が凍り付いてしまう”という事がよく起ると思います。
そんな”心が凍り付いていた時に”私と一緒に居てくれたのが猫ちゃんでしたね。
そんな状況の中でも子どもであった私は猫ちゃんの存在のお陰で救われていました。
ひとりだとどこにも表現出来ずに、もっとキツかったと思います。
こんな訳もあり私はずっと猫ちゃんが大好きですね~
一緒に過ごす時間は私の「最大の癒し」なのでまた猫ちゃんと暮らす夢を実現したく計画中。
さて話は変わりますね。
昨年、受けたスクーリングの中でとっても素敵な言葉があり書き留めた紙が
引き出しから出てきたので(笑)シェアしたいと思います。
*自分というものは人と関わっていく中でできていく*
本当にその通りだと思います。せっかくなのでメンタルヘルスの面から考えてみると、
例えば、
・誰も産まれた時からアルコール・ギャンブル依 存症の人はいない ですよね。
・残念ながらその症状や問題行動というサインが 必要になってしまうような状況で育ち
長い年月、心凍らせる経験をし。そこにまた何 らかの環境因子が重なったり。
本人は無自覚でも自己治療のために飲む・打つ という事が必要になってくる。
・そしてそこから「回復したい」『止めたい』『治りたい』と思えるのも「人との関り」の中から起ってくる事が多いの では…と私は考えています。
・境界性パーソナリティー障害・・・特にそう考えてよいのでは…と私は考えています。
*楽しむ量と学ぶ量は比例している*
これとっても素敵だなと思いました。
・楽しんだ分だけ学べる、頭に入り身になる、と いうか。
楽しんでいないとスーッと心(脳)に入ってこな いように私は感じています。
うわべの理論のみが分かる感じ。
机上の学びより心で感じて『府に落ちる』感 じが私は好きです。
・クライエントであった私は「変化・回復」『自 分を変えていく』ために沢山の新しい事を学ん できました。
人との健全な関り方・I メッセージのコミュ ニケーション・安全性・境界線・信頼関係を築 いていってもよい事・重要性など。
そして
*学ぶ側の者の権利は失敗する権利がある
→だから失敗をおそれない*
これ嬉 しいですね。
・とても衝動性の強かった私はすぐに変わらない と気が済まなくていちいち大爆発をしていまし た。
0か100 しかない、白か黒 しかない、グ レーでよい、と思えない完璧主義(苦笑)
50だっていいんです。30点だっていいんです。1点でも「変わりたい自分」に変化していれば
もうOKですよね。
昨日30点だったのに今日は10点に逆戻りしていたっていいんです。
すぐに100点にしないと気が済まない・・・
これでは自分イジメ・心の自傷行為の失敗になっちゃいますね。
これも失敗ではないんですけども、私は失敗って感じていました。
自尊心のカケラもなかった私ですのでやっぱりこんな自分はダメだ(TT)・・・と。
ある程度、自分自身に自信が付いてくると・・・自尊心が上がってくると
余裕が生まれ、自分の変化という事を実感でき楽しめるようになっていきました。
なので沢山、「失敗した」と思える経験をして良かったです。
今でも楽しむために「脱力する」ということを大切にしています。
*どんなことだって全ては未来への糧になる*
これも本当にいい言葉ですね。
ノーケア時代の過去の私なら「綺麗ごと、ふんっ」とか思っていたかもしれません(^o^ゞ
・私が本当にどんなことでも糧に出来るか?
・・・という事もちょっと考えてしまう自分がいましたが。
心凍らせた経験、症状や問題行動というサイン。そこから変わって来られたという経験は。
その当時は辛かったですが振り返れば
間違いなく私の財産になっています。
講師の先生は『富良野コミュニケーション・プログラム』のみなさま。
「北の国から」…好きな私には本当に楽しい2日間の学びでした。
それではまた
本州からは桜や梅の便りが聞こえてきましたが、今日の釧路は雪国に逆戻り(><)
桜・紅葉前線の時期には特に「日本って長いな~」と思います。
さてこちらは先日、子どもの登園時に出合った”猫ちゃんたち”です。
この子はいつもこうやって外に繋がれています。
あまり私には心を開いてはくれないですが^^;;・・・可愛いです。
こちらのおチビちゃんは「な~に勝手に写真撮ってるのよ~」って表情に観えますが(笑)
ゴロゴロ甘えた声で寄ってくる可愛い黒ちゃんです。
このように私は外で猫ちゃんを見付けると
コミュニケーションを取ろうとする一見、
怪しい人になります(笑)
私は子どもの頃からずっと猫ちゃんと一緒に生活してきました。
猫ちゃんの存在は大きな”癒し”です。
家の中でなにか”心が凍りつくような状況”の時に・・・、
例えば…一般的には
いつも両親が怒鳴りあっていた とか、姑が嫁(母)の悪口をいつも孫に言う とか。
親に叩かれる とか、父が母をいつも叩くのを見ていた とか。
親の泥酔を日々ハラハラして見ている とか、お金の不安・不満を大人が話しているのをいつも聞いた、とか。
お前は駄目な子だといつも言われる とか、外に出された とか。
母が父の悪口をいつも子どもに聞かせる とか。父の女性問題 とか。
これら、ほんの一例ですが
これらの事は子どもにとっては”心が凍り付いてしまう状況”ですよね。
子どもがノビノビと育っていける環境とは言えないと私は思います。
そしてこういった時に子どもは自分の考えをしっかり言葉で表現できないので
”心が凍り付いてしまう”という事がよく起ると思います。
そんな”心が凍り付いていた時に”私と一緒に居てくれたのが猫ちゃんでしたね。
そんな状況の中でも子どもであった私は猫ちゃんの存在のお陰で救われていました。
ひとりだとどこにも表現出来ずに、もっとキツかったと思います。
こんな訳もあり私はずっと猫ちゃんが大好きですね~
一緒に過ごす時間は私の「最大の癒し」なのでまた猫ちゃんと暮らす夢を実現したく計画中。
さて話は変わりますね。
昨年、受けたスクーリングの中でとっても素敵な言葉があり書き留めた紙が
引き出しから出てきたので(笑)シェアしたいと思います。
*自分というものは人と関わっていく中でできていく*
本当にその通りだと思います。せっかくなのでメンタルヘルスの面から考えてみると、
例えば、
・誰も産まれた時からアルコール・ギャンブル依 存症の人はいない ですよね。
・残念ながらその症状や問題行動というサインが 必要になってしまうような状況で育ち
長い年月、心凍らせる経験をし。そこにまた何 らかの環境因子が重なったり。
本人は無自覚でも自己治療のために飲む・打つ という事が必要になってくる。
・そしてそこから「回復したい」『止めたい』『治りたい』と思えるのも「人との関り」の中から起ってくる事が多いの では…と私は考えています。
・境界性パーソナリティー障害・・・特にそう考えてよいのでは…と私は考えています。
*楽しむ量と学ぶ量は比例している*
これとっても素敵だなと思いました。
・楽しんだ分だけ学べる、頭に入り身になる、と いうか。
楽しんでいないとスーッと心(脳)に入ってこな いように私は感じています。
うわべの理論のみが分かる感じ。
机上の学びより心で感じて『府に落ちる』感 じが私は好きです。
・クライエントであった私は「変化・回復」『自 分を変えていく』ために沢山の新しい事を学ん できました。
人との健全な関り方・I メッセージのコミュ ニケーション・安全性・境界線・信頼関係を築 いていってもよい事・重要性など。
そして
*学ぶ側の者の権利は失敗する権利がある
→だから失敗をおそれない*
これ嬉 しいですね。
・とても衝動性の強かった私はすぐに変わらない と気が済まなくていちいち大爆発をしていまし た。
0か100 しかない、白か黒 しかない、グ レーでよい、と思えない完璧主義(苦笑)
50だっていいんです。30点だっていいんです。1点でも「変わりたい自分」に変化していれば
もうOKですよね。
昨日30点だったのに今日は10点に逆戻りしていたっていいんです。
すぐに100点にしないと気が済まない・・・
これでは自分イジメ・心の自傷行為の失敗になっちゃいますね。
これも失敗ではないんですけども、私は失敗って感じていました。
自尊心のカケラもなかった私ですのでやっぱりこんな自分はダメだ(TT)・・・と。
ある程度、自分自身に自信が付いてくると・・・自尊心が上がってくると
余裕が生まれ、自分の変化という事を実感でき楽しめるようになっていきました。
なので沢山、「失敗した」と思える経験をして良かったです。
今でも楽しむために「脱力する」ということを大切にしています。
*どんなことだって全ては未来への糧になる*
これも本当にいい言葉ですね。
ノーケア時代の過去の私なら「綺麗ごと、ふんっ」とか思っていたかもしれません(^o^ゞ
・私が本当にどんなことでも糧に出来るか?
・・・という事もちょっと考えてしまう自分がいましたが。
心凍らせた経験、症状や問題行動というサイン。そこから変わって来られたという経験は。
その当時は辛かったですが振り返れば
間違いなく私の財産になっています。
講師の先生は『富良野コミュニケーション・プログラム』のみなさま。
「北の国から」…好きな私には本当に楽しい2日間の学びでした。
それではまた