リフレーム・カウンセリング ルーム 心理セラピストのblog

リフレーム・カウンセリングルーム 心理セラピスト/スクールカウンセラー 平野 なおみ のBlogです。 日々のことや「ココロとカラダのケア」についてを、「分かりやすい言葉」で「私 自身が楽しんで!」 をモットーに綴っています。【2022年HPの開設と共にブログをお引越ししました】

2014/10

こんばんは♪

リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

子どもがお風呂に入っている間に

ちょっと・母ちゃん(私)休憩タイム・で本日2度目の投稿。

10月も終わるな~、と考えながらお風呂掃除をしていましたら。


そう言えば今月、月食あったっけ♪

と思い出しまして

(あれ?9月でしたっけ?(^^;)


我が家から一部始終が綺麗に見えたんですよ。

子どもとワックワクで見てました。

皆さまもご覧になられましたか?(*^^*)



では、大作です(笑)




仕事帰り…
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釧路の夕焼けからの


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月が登り…


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ここから自宅より撮影・欠けて来ましたよ(@_@)


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おお~①(@_@)


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おお~②


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おおお~③

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おおおお~④



そして
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ここからどうなるんだっけ???(@_@)



これが
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赤い月なのね(@_@) 


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おおおおお~⑤



  ↓


そして
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こうなっていくのね(@_@)
おおおおおお~⑥


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戻ってきた(@_@)


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綺麗~・うっとり~


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凄い!もうちょっと・ワックワク




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これでおしまい(*^^*)




以上です(笑)







話しは変わります。

昨年もこちらに書いた記憶があるのですが、

今日は私の祖父の命日なのです。

私の中で「祖父と月」がなぜかマッチしたようです。

お風呂掃除をしながら、ふと。



41年経っても孫である私に思い出される私の祖父…

幸せ者だと言えますね。

私も思い出せるような祖父との関係性を持っていたことを

嬉しく思っています。

5才でしたがよ~く覚えています。

怖かったけれども好きでした。



それでは、また書きますね






こんにちは、

リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

さてさて、釧路に戻って来ています。

休んで・釧路での対面カウンセリング・そして今日はデスクワークなどなど。



今は休憩タイムにて・・・

今日も思いっきりのひとり言・巨木好きバージョンです(笑)

同じく巨木・自然好きな方はお付き合い下さいませ!



札幌の銀杏並木です。

今年も綺麗でした~^^





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沢山の方が訪れていました



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見上げても・・・



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前方も・・・下も・・・




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こ~んなにイチョウ・イチョウ・イチョウ



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青空だとより、映えますね



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私も・・・子どもをここに連れて来たいな~としみじみ感じました




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イチョウともみじの葉コラボ(草もね)



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比較するものが無いのが残念ですがメッチャ巨木
と、絡まるツタ







そして、イチョウ並木を抜け
目的地を目指し歩き始めた時に・・・


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こ~んな素敵な雲が・・・まるでオーロラみたいでした~




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夜も通る・計2往復しました(笑)


結構な距離なんですよ。

歩くこと・大好きな自然と触れ合う(視覚・嗅覚・触覚・聴覚)ことで
脳にいいホルモンが出まくった感じです。


以前はセルフ・ケアとして様々なことを取り入れてきましたが、

今ではそれら全てが「私のお楽しみ」となっています。



この後、もちろん(味覚)も満たしました(笑)






おまけ




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私のブーツも写っていますね^^;;



先週の北大・イチョウ並木でした




*あの大量な落ち葉を片付けるのは大変だろうな・・・  
*どうしても「レレレのおじさん」が思い起こされる・・・

が今とても気になって仕方がない状態の私です                            







それでは、また




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こちらは今朝、出会った赤とんぼ♪






明日はハロウィンですね






こんばんは♪

リフレーム・カウンセリングルームの平野直美です。

今夜はとってもひとりごと的な投稿です。

こちらは昨日の朝の

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私の好きないつもの白樺ロード
落ち葉の上を歩く音はカシャッカシャ




そして

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以前もこちらに写真をupしました
ニセアカシアの木の下はこんな感じになっていました\(^o^)/

この落ち葉の上はサクッサク



大喜びで踏みしめて音と感触を楽しむ
親子ふたり

どちらかと言えば、子どもよりも私の方が
大喜び(笑)


でも、今朝には
このニセアカシアの落ち葉は、ほぼ無くなって
いました。風で飛んだのかな…葉が軽いから

なので昨日、一日限定モノの
サクッサク…楽しくて綺麗でした。


子どもの頃から、私はこんな遊びが
大好きでしたね。




そして、今は

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札幌に来ています。



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好きな金胡麻ミルク珈琲を夕方に
飲んじゃったので、眠くないです(^^;

明日、早いので頑張って寝てみます。


ではでは、
おやすみなさいませ♡






こんにちは、

リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

昨日のようにとても寒かったり、今日はそうでもなかったりと気温の差が激しいですね。

こちらを訪れて下さっている皆様は風邪などひかれていませんか?

我が家では子どもの咳と鼻水が長く続いていて、

私は札幌入りで家を空けますので

私の留守中に「子どもの熱が出たらどうしましょう」の不安がよぎります^^;;

でも、小さな子どもなら不安があっても当然な状況ですので、

今こうして不安を抱えている自分をいったん自分で受け止め

赦し、そしてヨシヨシしてあげます^^




さてさて、昨日に引き続き


*心の傷を繰り返し語る*というテーマを参考文献に基づいて

また一緒に考えていきたいと思います。


もしかしたら、昨日の投稿を読む選択をされた方の中には

なにかしらの「反応」が起こっている方もいらっしゃるかもしれませんね。


なので、読まれる選択をされる方も、今は読まない選択をされる方も、

どちらもOKだと私は思っています。

無理なく、ご自身がどうされたいのか?を優先していただければと思います。




では、西尾 和美先生の

「今日1日のアファメーション~自分を愛する365日~」 ヘルスワーク協会より


ここより参考文献です。



心の傷を繰り返し語る


自分は生きるのに、あたいする人間です。

自分は、自分のままでいいのです。

自分は愛するに、あたいする人間です。

自分は、自分の居場所をつくっていいのです。

自分を、うんと好きになります。



過去に受けた心の傷(トラウマ)を語りましょう。

 トラウマを心の奥深くとじこめていたり秘密にしておくと、

いつまでたっても傷付いたときと同じ状態に、

凍りついたままになってしまいます。

ある特定のことに関して、トラウマとなったできごとのあった時点の

年齢の考え方、感情、感覚で理解しているので、

それは現実とはかけ離れたものになっています。

たとえば、父親にたたかれていた人は

「男は皆、こわいものだ」という考えが固定化して

変化しないまま大人になってしまい、

男女関係がうまくもてないようなことがあります。

 仲間やセラピストなどトラウマを理解してくれる人に、

何度も繰り返して話していくうちに、

だんだん現在の年齢なりに心の傷をうけとめられるようになり、

視野が広がり、子どもとして抱いていた大きすぎる恐怖が

小さくなっていきます。

 いろんな角度から心の傷を繰り返し話すこと自体が、

癒しになることを知りましょう。




ここまでが参考文献より。


さて、昨日の続きからいきますね。


過去に受けた心の傷(トラウマ)を語りましょう、

と書かかれていますね。

それはなぜか?ということですが、


>トラウマを心の奥深くとじこめていたり秘密にしておくと、

>いつまでたっても傷付いたときと同じ状態に、

>凍りついたままになってしまいます。



と書かれてありますね。

過去の私のように「いったいどういうものがトラウマなのか?」

と疑問に感じる方もいらっしゃるかもしれません。


子どもの時に受けた怖かったこと・嫌だったこと、などなど

例えば、

本当は両親の殴りあう姿は見たくなかったですね。

怒鳴り声や物を投げつける音、

ドアを乱暴に閉める音は聞きたくなかったですね。

本当は親や祖父母から叩かれたり、閉じ込められたり、外に出されたり

お前はダメな子だと言われたのは悲しかったですね。

父親が日々、泥酔していて

今日はいったい何が起こるかと常にビクビク緊張して過ごし、

父親が眠るとやっと安心できるような家は怖かったですね。

母親がため息をついている姿は見たくなかったですね。

父親や祖母の悪口を聞かされるのは本当は嫌でしたね。



そんなに勉強は好きではないのに

親に勉強・勉強と過剰に言われ続けたり、

過剰に侵入され続けたり。

秘密を持つことに対して罪悪感を植えつけられたり。





こういった「怖かったや悲しかった・嫌だった・痛かった」などなど

誰かに話せたり、助けを求められていたらどんなに良かったか。

でも子ども時代には、そんな力はありませんでした。



このような過酷な中に適応して生き延びるのには

これらの「怖かった・悲しかった・嫌だった・痛かった」などなどを

心の奥深くに閉じ込めておく方法が一番だったのかもしれないですね。

なかったことにする。
     ↓
(意識上では)
 なにも感じなくて済む。



そして、

こういった家庭には暗黙のルールがあり、

「家の秘密を外に漏らすな」という雰囲気を子どもながらに

感じて実行していたのかもしれないですね。

父親が毎日、泥酔してまるで別人格のようになる姿・・・

お友達には見られたくなかったですね。

恥ずかしかったり、漏らすことが家族を裏切るような感じがしたり。



子どもながらに沢山のことを感じて、

それを押し込めていたのかもしれません。




>凍りついたままになってしまいます。



凍りつかない訳がないですね。





>ある特定のことに関して、トラウマとなったできごとのあった時点の

>年齢の考え方、感情、感覚で理解しているので、

>それは現実とはかけ離れたものになっています。



脳がどのように働くか?について、具体的に書かれていますね。

例えば

小学生の時に、クラスでイジメにあった経験がある方が

大人になって会社で同僚が「コソコソ話」をしていただけで

「また私の悪口を言っているのでは?」と

とてもザワザワしてしまったり、怒りや涙や汗が出たり。

たとえ、同僚は全く違うことを話していたとしても、

悪口を言われている!と感じてしまっても

私は不思議ではないと思います。



子どもの時に露出凶にあってしまった方が

大人になってからも男の人とすれ違うだけで、

怖くなって足早にドキドキしながらすれ違う。

またはすれ違いたくないので別の道を通る、とか。

その時の、季節感や匂いや時間帯などの似た感覚だけで

ふと蘇って苦しくなったり

理由もわからないまま涙がポロポロ出たりとか。



これは現実とはかけ離れたものになっていますね。

すれ違った男性は、あの時の露出凶ではないし、

子どもの時は怖くて声も出せなかった・

逃げることもできなかったかもしれませんが。

今は大人になっているので、大声を出して誰かに助けを求めたり、

いったん走り去って逃げて、通報することもできるかもしれません。





さて、ここからやっと明るい道が見えてきます。



>仲間やセラピストなどトラウマを理解してくれる人に、

>何度も繰り返して話していくうちに、

>だんだん現在の年齢なりに心の傷をうけとめられるようになり、

>視野が広がり、子どもとして抱いていた大きすぎる恐怖が

>小さくなっていきます。


何度も繰り返して話していくうちに・・・・


子どもとして抱いていた大きすぎる恐怖が小さくなっていきます。

と書かれてありますね。



ここで私がとても大切だなと感じる部分が

>仲間やセラピストなどトラウマを理解してくれる人に、

という部分です。

トラウマを理解している人・・・

残念ながらそんなに多くはないかもしれないと私は感じています。

世の中にご自身がトラウマを持っていると自覚されている方は

どのくらいいるでしょう・・・・




「私は子どもの頃に親にいつも叩かれたり、閉じ込められたり、

外に出されたり、お前はダメな子だと言われていたのが

今でも、とっても嫌で傷付いて悲しくて怒っているの」

と話してみても


・それは躾けだったんじゃないの?とか

・昔はどこの家でもそうだったんじゃないの?

・私もそうだったけど私は大丈夫だよ

とか言われそうですね。


それだけでは済まずに

・そんな昔のことで大人になった今も親を悪く思うなんて

どうかなと思うよ、そんなこと忘れなよ

とか言われたり。


これは「この方」の話したことを、

相手は「否定している」ということになりますね。


なぜなら、話した方の「私は」


・今でも、とっても嫌だった

・今でも、傷付いた感じがしている

・今でも、悲しい

・今でも、怒っている・・・んですから。





なので、セラピストや

安全性ということを理解している「仲間」に話すのでなければ

話してみても、2度傷付くことになっても不思議ではないと

私は思っています。


回復やご自信の成長の為に癒しの作業をするのには

安全な場所と安全な相手が必須だと言われています。





以上ここまでとします。

昨日・今日と参考文献からテーマを考えてみました。

現時点での私が考えていることの、ほんの一部を書いてみましたが、

3年後・5年後・10年後・・・・30年後・・・に読み返した時には

また別の、より多くの視点を持っていたり、

更に成長を重ねた私の感じ方が出ていることと思います。

この事をご承知の上、読んでいただけますと助かります。




ご自身を傷付けた相手を責めるための道具ではないこと、

レッテル貼りをしたい訳ではないこと、

できればご自身のために

相手をゆるしていけるといいな、と私は考えていることも

いつかまた書きたいと思います。



それでは、また







こんばんは、
リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

私の住む、釧路市は今朝とっても寒かったです。
子どもに今日から冬用の上着を着せたのですが手袋もあってもいいね、と
話しながら歩いていました。

札幌は雪が降る予報のようでしたが、降ったのでしょうか?






さてさて、
以前から考えていたのですが。

私がケアに繋がったのが2007年9月。
そこから「自分で出来る事」として様々な著書を読みまくりました。

こちらのブログでも、
私が「回復や成長」をするのにとても役に立った著書のシェアをしていきたいと思います。
名付けて「とてもお勧め著書コーナー」

今となっては「回復」という言葉には実は違和感も感じるひとりなのですが。

パニック発作が10年治まらずにケアに繋がった経験を持つ私が

最初に望んだものは勿論「回復したい・治りたい」ということでした。

また話が今日の本題から逸れそうなので、戻します(笑)
なぜ私が回復という言葉に違和感も感じるのか?については
またいつか書きたいと思います。






今日1日のアファメーション―自分を愛する365日





西尾 和美
ヘルスワーク協会
1997-02



さてさて、
今日は西尾 和美先生の
「今日1日のアファメーション~自分を愛する365日」 ヘルスワーク協会

を参考図書として様々な事を一緒に考えていきたいと思います。

この著書は私がセラピーを受け始めて一番、最初に購入した中の一冊で
何度も何度も、何年間も読み続けてきたものです。

基本的に、著書は折らないタイプなのですが、
もう折りまくって分厚くなっています。

それだけ自分に当てはまる部分だらけだったという事です。

なにかしらの生きづらさを感じていらっしゃる多くの方々には
とてもお勧めの一冊です。


今日は「心の傷を繰り返し語る」という事についてをテーマにしてみます。

私自身が最初の頃に感じていたことは

心の傷を語ることに何の意味があるの?という事や。
出来れば語りたくない、思い出したくもない・
だって思い出して具合が悪くなっちゃったら嫌だも~ん(><)
人の前で泣いたら嫌だ・・・困る・・・
余計惨めになるんじゃないの?・・・

だ~か~ら~っ
私は大丈夫なんだから、
症状さえチャッチャと取れればそれでいいのに!とか


というような事だったかもしれません、今思えばですけどね(笑)



では、ここから参考図書の内容です。


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心の傷を繰り返し語る

自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居場所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。

過去に受けた心の傷(トラウマ)を語りましょう。
 トラウマを心の奥深くとじこめていたり秘密にしておくと、
いつまでたっても傷付いたときと同じ状態に、
凍りついたままになってしまいます。
ある特定のことに関して、トラウマとなったできごとのあった時点の
年齢の考え方、感情、感覚で理解しているので、
それは現実とはかけ離れたものになっています。
たとえば、父親にたたかれていた人は
「男は皆、こわいものだ」という考えが固定化して
変化しないまま大人になってしまい、
男女関係がうまくもてないようなことがあります。
 仲間やセラピストなどトラウマを理解してくれる人に、
何度も繰り返して話していくうちに、
だんだん現在の年齢なりに心の傷をうけとめられるようになり、
視野が広がり、子どもとして抱いていた大きすぎる恐怖が
小さくなっていきます。
 いろんな角度から心の傷を繰り返し話すこと自体が、
癒しになることを知りましょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ここまでが、参考図書の内容です。


とても深~いですね。

私はこちらの著書を初めて読んだ時、またそれ以降の数年間は
わかったような?分からない様な?感じでポカ~ンとしていたかもしれません。

勇気を持って、もう一歩踏み出し続けてみて、実際に実行してみて
「心の傷を繰り返し語る」ことをしてみて、

初めて自分の変化に自分で気付き、
やっと、ひとことひとことの意味が理解できたような気がしましたね。

ひとことひとことが腑に落ちてなるほど!こういうことだったのか!!
と思うことが出来ました。
机上の学びプラス体感できた感じですね。

そして私は「この体感できる」ということをとても大切に考えています。


まず当時は最初の文章の意味がハテナ?だったかもしれません。



自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居場所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。



ここでまずはポイントですが、

「意識と無意識」というのがあるのですが、

「意識」は言語化できるような自分で認識できている部分と考えられています。

「無意識」というのは
自分のことなのに自分でもわかっていない、認識できていない、
なので言葉で表現することもできないような部分
と言われていて皆さん持っています。

今日はザックリとですが。



さて、戻りますね。


>自分は生きるのに、あたいする人間です。



当時の私はまだ自分が
「私は生きる値打ちがないダメな人間だ」
と実は感じていたことに気付いていませんでした。


でも、この無意識の方ではしっかりと
「私は生きる値打ちがないダメな人間だ」と実は感じていたんですね。
それだけ、とても自己評価が低かったんです。
劣等感の塊でした。もちろん気付いていませんでしたけど。

ちなみに「意識できている」方では
・別にみんな生きてるように私も生きてるけど、それがなんなんだろう?
とか思っていました(笑)




そんな私が
>自分は、自分のままでいいのです。

などと「無意識の方」で思えている訳がないですね。
こんなにダメな自分をなんとか頑張って変えなきゃ・変えなきゃと
認識はできていませんでしたが実は思っていたんです。


「意識できている」方では、
・私はバッチリよ!!と心から思っていたのに
!!です。




なので
>自分は愛するに、あたいする人間です。

とは真逆の
「誰も愛してなんてくれる訳がないこんな自分」と「無意識の方」では思っていました。
自分のことが大嫌いだったんです。


「意識できている方」では
・そんなこと、考えたこともなかったな・・・

・なんかいまいち意味わかんないけど・・・、
 どちらかと言えば普通に愛するにあたいする人間だと思う
と感じてました。





>自分は、自分の居場所をつくっていいのです。

「無意識の方」では
私の居てもいい場所がどこにもない・・・と嘆いて叫んで泣いていました。

居場所を誰かに作ってもらって、そこに居たいという願望がとても強く
自分で自分の心地よい居場所や温かな人間関係を作ってよい、
という考えが全くありませんでしたね。
それらは誰かから、与えられるものだと考え願っていたんです。


「意識できている方」では
・家賃払って住む家や自分の部屋はあるけどそういう事なのかな?
と思っていました。もちろん空間も大事ですけれどね。






>自分を、うんと好きになります。

「無意識の方」では
先ほども書きましたが自分のことが大嫌いでした。
・こんなダメな自分を好きになれる訳がないし、なってはいけない
・だから何とか頑張って好きになれるような自分にならなければならない、
とあがいていました。


「意識できている方」では
・う~ん、好きか嫌いかと聞かれれば結構好きかな、
・でもパニック障害なんて厄介な病気になっちゃった私はダメな弱い人間だから
 やっぱり大っ嫌い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と思っていました。



だからセラピーを受ける選択ができたのでこれら全てOKなんです(笑)



ここまで、参考図書をもとに
「意識と無意識」という考え方で過去の私を振り返ってみました。



私の「無意識の方」は
とても過酷な考え方の持ち主でしたね。

「意識できていた方」との大きな大きな違いにも
今更ながら我ながら驚きます^^;;





でも、
その過酷な中を「よくぞ、生き抜いて生き残ってきたね」
と自分で自分を褒めちぎってあげたいです。

というか、いつも褒めています。

私の場合は
主には「パニック障害という症状」でしたが

「症状というサインを出す力」も持っていた私、凄い!!

と、とても褒めて自分で自分を認めてあげているんですよ。

当時はもちろん苦しくて不安で辛かったですけどね。






今日はここまでで、

つづきはまた後日に書きたいと思います。




それでは、また







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