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こんばんは、今夜は夜更かし平野直美です。

写真は数年前に「箱庭セラピスト養成講座」に参加した時に

作成した私の作品です。分析の仕方を学ぶ前に作成した作品ですが

如実にその時点での私のプロセスが現れていて良い意味で

鳥肌が立ちました。箱庭セラピーも凄いですよ。

私は大好きです。

SV(ケースの指導)を受けながら提供をさせて頂いております。

*箱庭セラピーをご希望される方はお問合せ下さい*



さて今日は私の叔母のことを書いてみたくなりました。

子どもの時には一緒に住んでいた叔母で私にとっては

唯一、私を「条件なし・無条件」で可愛がってくれた人でした。


世の中「条件付きの愛」が多いですよね。



例えば、

母親が「お父さんやおばあちゃんはひどい人なのよ!

あなただけは私の味方だからいい子ね」とか。



「お前(子)は私(母)の役に立つ為に家事をやれば愛するよ」とか。


「私(親)の愚痴を聞く子供は愛するよ」と子供に親の

トラウマを垂れ流して子どもを親のカウンセラー役にするとか。


子どもは何もわからなくて当然なので親のために一生懸命そこに

適応しようとしますよね。だって親に愛されたいです、子どもは。


でもこういった親を持つと子どもは辛いですよね。

親と子の立場が逆転していますので

子どもらしい子ども時代を送れませんね。

こういった機能不全な環境での生育が

長期間、何年間も、強烈に、ノーケアのまま起こり続けていると。

子どもは「心の成長」がそこで止まってしまう可能性が

あると言われています。

そしてその凍りついた心の成長度合いのまま大人になってしまう為、

様々な生きにくさが出てきてしまう可能性があると言われています。


勿論、完璧な親なんていないとも思っています。

自分の経験を含めてですね(苦笑)。





話、戻ります(笑)

私が小学校に上がる前くらいと記憶していますが、その叔母が

私を隣町に遊びに連れて行ってくれた事が一度だけありました。

車の免許を取り立ての叔母が運転し、

普段(買い与えられていない為に)スカートなんて入学式や

結婚式以外でははいた事がない私にスカートをはかせてくれ

(これとても嬉しかったです)。

黄色い帽子を被せて人並みの身支度をさせてお出かけし。

ポニーちゃん(小さな馬)に乗せてもらい

どこかの食堂で食事をした記憶があります。

そこで好きなカレーを食べました。

楽しくて嬉しかったです!

遊びに連れていってもらう事が本当に少ない自営業の家でしたので

「遊ぶ・楽しむ」という経験が本当に少ない私にとっては

おぼろげながらも楽しい思い出です。

その食堂で帽子を忘れてきてしまうんですが。


今でもその隣町を訪れる際にはポニーちゃんに乗れる場所や

あの食堂がどこだったのか?

たまに無意識に探している自分に気付きます。

あの黄色い帽子どうなったのかな・・・とかね。

そして今でも私は馬が大好きです。


叔母がお嫁に行く前に・・・

世間並みに子どもらしく暮らすことが難しい私を

想って連れて行ってくれたのかな・・・とか。

でもそれって私に自分を重ねていたんだろうな・・・とか。

今は心理セラピストとしての知識があるので叔母の生育歴などから

私なりの様々な仮説を立てる事ができ

ある程度の紐解き作業が出来ます。



今日はその叔母の命日です。

もう10年経ちました。

でもまだ10年なんだな・・・とも感じます。


穏やかな気持ちでここに叔母への感謝や楽しい思い出を書きたいと

考えていましたが実は深夜に目が覚めてしまいました。


この時間帯に亡くなったんだな・・・と思うとやはり起き出してしまい

今夜は夜更かしして書いています。

この反応、当然なんですが

自分としてはもっと穏やかにいられると想像していました。

何度もセラピーやWSで扱っていますので。

でも・・・それでも・・・

何年経っても悔しいですね。

残念で悲しいですが・・・でもこれが現実です。

ふと気付くと・・・

やっと本当の意味で「叔母の自死」という事を

受け入れられた気がしています。



そして以前、ある新聞社で悲しい経験をしたこともありました。

私が自死遺族であるということを伝えた時に記者の方が身を乗り出して

「ご主人ですか?親ですか?」と私に質問され。

私が「叔母です」と答えると

「なんだ、叔母さんか・・・」と。


これは関係性が叔母くらいでは記事にならないという意味だと思います。

悲しかったですね。

とても私の感情を否定された気持ちになりました。

でも今は胸を張って「自死遺族です」と公表しています。

勿論、記者さんの仰る事は分からない訳ではないし、

実は私自身にもその感情がありました。


悲しみは比べるものではないけれど

私よりももっと近しい関係性の人を自死で失っている方に

悪い・申し訳ない・・・甘えていられない・・・

という感情を実は過去にずっと持っていました。


特に私よりも近い叔母の身内に対して

「私が公表することは申し訳ない」と感じていました。


でもそれは私の悲しいという感情や叔母への感謝の想いを

尊重していない事になるので嫌です。

勿論、私よりも叔母に近い遺された身内への

配慮がとても必要である事。

その為に

叔母が特定されないように書いています。

特定されるように書いたり話したりするのはその方達への暴力になって

しまう可能性があるのでとても配慮します。



え~と、箱庭セラピー作品に話が戻ります。

この作品のテーマは「希望の轍(わだち)」といいます。

これから受けられる方のために詳細などは書きませんが。

悲しみや苦しみ・怒りなども癒していくと自分の様々な事が見えてきて。

そしてその「全ての出来事や感情を財産にする・出来る」

という私のプロセスが現れていて

今日の内容ととてもリンクしましたので載せてみました。


「過去の教訓をいかす」という言葉をよく耳にしますが

自死という出来事に於いて・・・活かしたいですね。

言い難いという面でなかなか活かしにくい側面があると感じますが

やっぱり私はもう誰も死んで欲しくないですね・・・できれば・・・。


「自死という事故」が起っているならば・・・

「事故であるならば」・・・

未然に防ごうとする事ができるかもしれないと考えています。


勿論、心のケアが全てではないとも思っています。

全ての方にカウンセリングやセラピーが有効だとは考えていません。

様々な状況・状態の方がいらっしゃると思います。



それでも・・・やはり・・・

私は必要とされていらっしゃる方へ発信し続けたいです。

それが私なりの叔母への感謝の気持ちですので。

胸の痛みと感謝の気持ちを自分のパワーに変えていけています。


そして

最期が自死という事ですとどうしても「不幸だった」と感じてしまい、

亡くなり方にばかり目が行ってしまいますが。

叔母に確かに幸せな日々が存在していた事、

叔母という人が「ちゃんと生きたこと」を感じています。





今日はOFF日にしていますので

ゆっくり休み・・・穏やかに過ごせそうです。

書いて良かったです。





それでは