こんばんは、
リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

私の住む、釧路市は今朝とっても寒かったです。
子どもに今日から冬用の上着を着せたのですが手袋もあってもいいね、と
話しながら歩いていました。

札幌は雪が降る予報のようでしたが、降ったのでしょうか?






さてさて、
以前から考えていたのですが。

私がケアに繋がったのが2007年9月。
そこから「自分で出来る事」として様々な著書を読みまくりました。

こちらのブログでも、
私が「回復や成長」をするのにとても役に立った著書のシェアをしていきたいと思います。
名付けて「とてもお勧め著書コーナー」

今となっては「回復」という言葉には実は違和感も感じるひとりなのですが。

パニック発作が10年治まらずにケアに繋がった経験を持つ私が

最初に望んだものは勿論「回復したい・治りたい」ということでした。

また話が今日の本題から逸れそうなので、戻します(笑)
なぜ私が回復という言葉に違和感も感じるのか?については
またいつか書きたいと思います。






今日1日のアファメーション―自分を愛する365日





西尾 和美
ヘルスワーク協会
1997-02



さてさて、
今日は西尾 和美先生の
「今日1日のアファメーション~自分を愛する365日」 ヘルスワーク協会

を参考図書として様々な事を一緒に考えていきたいと思います。

この著書は私がセラピーを受け始めて一番、最初に購入した中の一冊で
何度も何度も、何年間も読み続けてきたものです。

基本的に、著書は折らないタイプなのですが、
もう折りまくって分厚くなっています。

それだけ自分に当てはまる部分だらけだったという事です。

なにかしらの生きづらさを感じていらっしゃる多くの方々には
とてもお勧めの一冊です。


今日は「心の傷を繰り返し語る」という事についてをテーマにしてみます。

私自身が最初の頃に感じていたことは

心の傷を語ることに何の意味があるの?という事や。
出来れば語りたくない、思い出したくもない・
だって思い出して具合が悪くなっちゃったら嫌だも~ん(><)
人の前で泣いたら嫌だ・・・困る・・・
余計惨めになるんじゃないの?・・・

だ~か~ら~っ
私は大丈夫なんだから、
症状さえチャッチャと取れればそれでいいのに!とか


というような事だったかもしれません、今思えばですけどね(笑)



では、ここから参考図書の内容です。


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心の傷を繰り返し語る

自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居場所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。

過去に受けた心の傷(トラウマ)を語りましょう。
 トラウマを心の奥深くとじこめていたり秘密にしておくと、
いつまでたっても傷付いたときと同じ状態に、
凍りついたままになってしまいます。
ある特定のことに関して、トラウマとなったできごとのあった時点の
年齢の考え方、感情、感覚で理解しているので、
それは現実とはかけ離れたものになっています。
たとえば、父親にたたかれていた人は
「男は皆、こわいものだ」という考えが固定化して
変化しないまま大人になってしまい、
男女関係がうまくもてないようなことがあります。
 仲間やセラピストなどトラウマを理解してくれる人に、
何度も繰り返して話していくうちに、
だんだん現在の年齢なりに心の傷をうけとめられるようになり、
視野が広がり、子どもとして抱いていた大きすぎる恐怖が
小さくなっていきます。
 いろんな角度から心の傷を繰り返し話すこと自体が、
癒しになることを知りましょう。



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ここまでが、参考図書の内容です。


とても深~いですね。

私はこちらの著書を初めて読んだ時、またそれ以降の数年間は
わかったような?分からない様な?感じでポカ~ンとしていたかもしれません。

勇気を持って、もう一歩踏み出し続けてみて、実際に実行してみて
「心の傷を繰り返し語る」ことをしてみて、

初めて自分の変化に自分で気付き、
やっと、ひとことひとことの意味が理解できたような気がしましたね。

ひとことひとことが腑に落ちてなるほど!こういうことだったのか!!
と思うことが出来ました。
机上の学びプラス体感できた感じですね。

そして私は「この体感できる」ということをとても大切に考えています。


まず当時は最初の文章の意味がハテナ?だったかもしれません。



自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居場所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。



ここでまずはポイントですが、

「意識と無意識」というのがあるのですが、

「意識」は言語化できるような自分で認識できている部分と考えられています。

「無意識」というのは
自分のことなのに自分でもわかっていない、認識できていない、
なので言葉で表現することもできないような部分
と言われていて皆さん持っています。

今日はザックリとですが。



さて、戻りますね。


>自分は生きるのに、あたいする人間です。



当時の私はまだ自分が
「私は生きる値打ちがないダメな人間だ」
と実は感じていたことに気付いていませんでした。


でも、この無意識の方ではしっかりと
「私は生きる値打ちがないダメな人間だ」と実は感じていたんですね。
それだけ、とても自己評価が低かったんです。
劣等感の塊でした。もちろん気付いていませんでしたけど。

ちなみに「意識できている」方では
・別にみんな生きてるように私も生きてるけど、それがなんなんだろう?
とか思っていました(笑)




そんな私が
>自分は、自分のままでいいのです。

などと「無意識の方」で思えている訳がないですね。
こんなにダメな自分をなんとか頑張って変えなきゃ・変えなきゃと
認識はできていませんでしたが実は思っていたんです。


「意識できている」方では、
・私はバッチリよ!!と心から思っていたのに
!!です。




なので
>自分は愛するに、あたいする人間です。

とは真逆の
「誰も愛してなんてくれる訳がないこんな自分」と「無意識の方」では思っていました。
自分のことが大嫌いだったんです。


「意識できている方」では
・そんなこと、考えたこともなかったな・・・

・なんかいまいち意味わかんないけど・・・、
 どちらかと言えば普通に愛するにあたいする人間だと思う
と感じてました。





>自分は、自分の居場所をつくっていいのです。

「無意識の方」では
私の居てもいい場所がどこにもない・・・と嘆いて叫んで泣いていました。

居場所を誰かに作ってもらって、そこに居たいという願望がとても強く
自分で自分の心地よい居場所や温かな人間関係を作ってよい、
という考えが全くありませんでしたね。
それらは誰かから、与えられるものだと考え願っていたんです。


「意識できている方」では
・家賃払って住む家や自分の部屋はあるけどそういう事なのかな?
と思っていました。もちろん空間も大事ですけれどね。






>自分を、うんと好きになります。

「無意識の方」では
先ほども書きましたが自分のことが大嫌いでした。
・こんなダメな自分を好きになれる訳がないし、なってはいけない
・だから何とか頑張って好きになれるような自分にならなければならない、
とあがいていました。


「意識できている方」では
・う~ん、好きか嫌いかと聞かれれば結構好きかな、
・でもパニック障害なんて厄介な病気になっちゃった私はダメな弱い人間だから
 やっぱり大っ嫌い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と思っていました。



だからセラピーを受ける選択ができたのでこれら全てOKなんです(笑)



ここまで、参考図書をもとに
「意識と無意識」という考え方で過去の私を振り返ってみました。



私の「無意識の方」は
とても過酷な考え方の持ち主でしたね。

「意識できていた方」との大きな大きな違いにも
今更ながら我ながら驚きます^^;;





でも、
その過酷な中を「よくぞ、生き抜いて生き残ってきたね」
と自分で自分を褒めちぎってあげたいです。

というか、いつも褒めています。

私の場合は
主には「パニック障害という症状」でしたが

「症状というサインを出す力」も持っていた私、凄い!!

と、とても褒めて自分で自分を認めてあげているんですよ。

当時はもちろん苦しくて不安で辛かったですけどね。






今日はここまでで、

つづきはまた後日に書きたいと思います。




それでは、また