6月突入「自分も相手も尊重する」ってどういうこと?

2016/06/03

気付きのきっかけ・気付く事の重要さ

こんばんは

~心のケア~ リフレーム・カウンセリングルームの平野です。

今日は一日、グループ療法のトレーニング参加でお出掛けしていまして、夜、釧路に戻りました。

ランニングハイ…に似たような状態で(笑)まだ興奮冷めやらぬ感じを大切に味わっていまして…今夜は夜更かしする選択となりました。こういう時には「そうだ!Blogを書こう」となる事が私は多いかもです。

これも私の予後を大切にしている、という事ですね。また、大切に味わうという事も私のセルフケアのひとつかもしれません。

トレーニングですので、もちろん私もひとりのクライアント役として、いられる・いてもいい時間も含まれます(←これが嬉しい^^)

今日も、深~いトラウマが自分の中から出てきました^^::

「あっ、そう言えば…私あの頃の、あの感じが今でもまだずっと怖いんだな」

「あの状況と似た状況に身を置くと私、パニパニしちゃうんだな」と。

ちなみに、私が5才の頃までに経験していた(当時は無自覚でしたが)「怖い」「意味不明過ぎでハテナ???」といつも子どもながらに感じていたエピソードが

43年経過している今でも私の日常に影響を及ぼしている…

これって凄いお話ですよね。

自分でも「なぜ今まで気付かなかったんだろうか?」と、ちょっとビックリしたのと同時に、このザワザワ・パニパニの背景は「これだったのか!」と、とても納得できましたので嬉しかったです。

私という人を構成しているパズルがあったとしたら、これがまたひとつピタリとはまった感じかな。


そして「凄いお話」であるのと同時に、皆さま驚かれるかもしれませんが、「とてもよくある普通のお話」でもあります。



早いもので2007年から心理療法(セラピー)を受けはじめて「私、このままじゃ嫌だ!変わりたい!」と猛烈に感じたので、自分の心の傷をケアする選択を私はしてきました。

私にこのトラウマを与えた相手が「なぜそのような状態でいる必要があったのか?」

具体的には、例えば

「なぜいつも激しい怒りを持っていたのか?」

「誰に対して、何に対して怒っていたのか?」や

「酔うと人が変わったような状態になるのに、なぜいつもお酒を飲む必要があったのかの意味不明さ」

「なぜその姿をいつも子どもの私に見せていたのか?なぜ大人としてするべき配慮がなかったのか?」

「その怒りを見せても平気だったでのか?」

「そんなに私はどうでもいい存在だったのか?」

「じゃ~結局、私ってなんなのさ?の怒りや悲しみ」

「私って、いらない子?」

などなどについては散々、セラピーやグループ療法などのWSで扱ってきていますので

相手の立場に立って、客観的に当時の家族としての出来事や歴史・その当時の日本にどんな出来事が起こっていたのか?などの全体を想像して見渡せるようになってきていますので、相手に対する怒りなどは出てきませんでした。

ケアしたての2007年頃の私だったら…被害者意識の塊でしたので、相手に対して

「ひどい!私の人生メチャクチャにしやがって」ってな感じで怒りや悲しみ、無力感などがいっぱい出てきたかもしれません。

いつも怒鳴り散らすような、怒りの塊のような大人が周りにいる…それを配慮なく見せられて育つ・・・
これって子どもにとっては「心理的虐待を受けている」という事になりますから。


いつ怒り出すか?いつもビクビクして、顔色を伺って適応しようとするような他人中心の思考や行動、反応の塊の人のまま育ってしまうのは当然な事だと思います。

これは苦しいですね。自分がいったい何なのか?人と関わるときにどう振る舞っていいのか?が分からないかもしれません。


またアルコール依存症や、(市販薬や処方箋薬などを含む)薬物依存症、過労死してもおかしくない程に仕事をする必要がある仕事依存、借金を繰り返すような買物依存症、
恋愛(セックス)依存症、ギャンブル依存症などなど様々な依存症を持つ家族メンバーの中で育つ事・・・
子どもはノビノビと育っている場合ではないですよね。とても過酷な生育歴だと想像できます。

ほんの一例でした。



話がそれましたので戻ります(笑)
このような虐待を受けて育っても、虐待の傷をある程度ケアできてきていますので 

「相手がそうする必要があった理由」を相手の立場になってみて、ある程度は理解できてきています。


「わかるよ」
「こんな事があったら私でもそうするしかなかったかもしれないよ」と思えるんですよね。

もれなく私も、その相手の「怒りを自分でもどうにもこうにも抑えられない衝動性」や

「もう飲むしかない」
アルコールに依存する事でその時だけは何も感じなくて済む感じ…例えば不安や恐怖や究極の淋しさを紛らわせる事ができていたひとりでしたから。

休む事に猛烈な罪悪感を持つバリバリの仕事依存症でもありました。



こうなると、「もう同じように病んだ人・連鎖しただけ・トラウマをもらっちゃっただけ」って事ですので

それって「同じく傷付いた仲間だよね」→「虐待の世代間連鎖に実は犯人はいない」→それだけ家族をひっちゃかめっちゃかな状態にしてしまう大変な人であっても「依存症にも実は犯人はいない」という事で納得すると共に

生きのびてきてくれてきた事に感謝もしたい思いが沸いてきます。

どんなに病んでいたとしても、生きのびてきてくれなかったら下の代である私は生まれてこられなかったかもしれないですから。


生まれてこられた機会・奇跡で充分だ。あとは私、もう大人だから自分で自分を育て上げていくからもういいよ!

みたいな感じが自分の中から沸いてきます。


もちろんここまで思えるようになるのには、とても時間がかかりました。



ああ…また長くなりましたが

こうやって書く事も私の好きな方法のセルフケアになっています。

話す事はどちらかと言えば苦手意識が起きるので、書く事の方がしっくりきます。私の場合は。


私の経験してきたプロセスが、もし、こちらを訪れて下さっているどなたかの「気付きのきっかけ」になるとしたら、私はとても嬉しいです。

私も、そうやって回復と成長を重ねてこられたひとりであると心から感じていますので。

似た経験をした仲間とNet上ででも、つながり合う事・・・とっても意味がある事だと思っています。
もちろん、その場の安全性が保たれる配慮が管理者などによってされていればです。



書いた事で脳がまたエネルギーを使ったようで心地よく落ち着いて、眠気もやってきました(笑)

そろそろ寝ないと明日、ヤバイです(;・∀・)



それでは、おやすなさいませ








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ランチは♡身体とこころに優しい無添加の温野菜などなど おいしかった♡








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