*とてもお勧め♪著書コーナー*

2014/10/23

*心の傷を繰り返し語る*ということの意味②


こんにちは、

リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

昨日のようにとても寒かったり、今日はそうでもなかったりと気温の差が激しいですね。

こちらを訪れて下さっている皆様は風邪などひかれていませんか?

我が家では子どもの咳と鼻水が長く続いていて、

私は札幌入りで家を空けますので

私の留守中に「子どもの熱が出たらどうしましょう」の不安がよぎります^^;;

でも、小さな子どもなら不安があっても当然な状況ですので、

今こうして不安を抱えている自分をいったん自分で受け止め

赦し、そしてヨシヨシしてあげます^^




さてさて、昨日に引き続き


*心の傷を繰り返し語る*というテーマを参考文献に基づいて

また一緒に考えていきたいと思います。


もしかしたら、昨日の投稿を読む選択をされた方の中には

なにかしらの「反応」が起こっている方もいらっしゃるかもしれませんね。


なので、読まれる選択をされる方も、今は読まない選択をされる方も、

どちらもOKだと私は思っています。

無理なく、ご自身がどうされたいのか?を優先していただければと思います。




では、西尾 和美先生の

「今日1日のアファメーション~自分を愛する365日~」 ヘルスワーク協会より


ここより参考文献です。



心の傷を繰り返し語る


自分は生きるのに、あたいする人間です。

自分は、自分のままでいいのです。

自分は愛するに、あたいする人間です。

自分は、自分の居場所をつくっていいのです。

自分を、うんと好きになります。



過去に受けた心の傷(トラウマ)を語りましょう。

 トラウマを心の奥深くとじこめていたり秘密にしておくと、

いつまでたっても傷付いたときと同じ状態に、

凍りついたままになってしまいます。

ある特定のことに関して、トラウマとなったできごとのあった時点の

年齢の考え方、感情、感覚で理解しているので、

それは現実とはかけ離れたものになっています。

たとえば、父親にたたかれていた人は

「男は皆、こわいものだ」という考えが固定化して

変化しないまま大人になってしまい、

男女関係がうまくもてないようなことがあります。

 仲間やセラピストなどトラウマを理解してくれる人に、

何度も繰り返して話していくうちに、

だんだん現在の年齢なりに心の傷をうけとめられるようになり、

視野が広がり、子どもとして抱いていた大きすぎる恐怖が

小さくなっていきます。

 いろんな角度から心の傷を繰り返し話すこと自体が、

癒しになることを知りましょう。




ここまでが参考文献より。


さて、昨日の続きからいきますね。


過去に受けた心の傷(トラウマ)を語りましょう、

と書かかれていますね。

それはなぜか?ということですが、


>トラウマを心の奥深くとじこめていたり秘密にしておくと、

>いつまでたっても傷付いたときと同じ状態に、

>凍りついたままになってしまいます。



と書かれてありますね。

過去の私のように「いったいどういうものがトラウマなのか?」

と疑問に感じる方もいらっしゃるかもしれません。


子どもの時に受けた怖かったこと・嫌だったこと、などなど

例えば、

本当は両親の殴りあう姿は見たくなかったですね。

怒鳴り声や物を投げつける音、

ドアを乱暴に閉める音は聞きたくなかったですね。

本当は親や祖父母から叩かれたり、閉じ込められたり、外に出されたり

お前はダメな子だと言われたのは悲しかったですね。

父親が日々、泥酔していて

今日はいったい何が起こるかと常にビクビク緊張して過ごし、

父親が眠るとやっと安心できるような家は怖かったですね。

母親がため息をついている姿は見たくなかったですね。

父親や祖母の悪口を聞かされるのは本当は嫌でしたね。



そんなに勉強は好きではないのに

親に勉強・勉強と過剰に言われ続けたり、

過剰に侵入され続けたり。

秘密を持つことに対して罪悪感を植えつけられたり。





こういった「怖かったや悲しかった・嫌だった・痛かった」などなど

誰かに話せたり、助けを求められていたらどんなに良かったか。

でも子ども時代には、そんな力はありませんでした。



このような過酷な中に適応して生き延びるのには

これらの「怖かった・悲しかった・嫌だった・痛かった」などなどを

心の奥深くに閉じ込めておく方法が一番だったのかもしれないですね。

なかったことにする。
     ↓
(意識上では)
 なにも感じなくて済む。



そして、

こういった家庭には暗黙のルールがあり、

「家の秘密を外に漏らすな」という雰囲気を子どもながらに

感じて実行していたのかもしれないですね。

父親が毎日、泥酔してまるで別人格のようになる姿・・・

お友達には見られたくなかったですね。

恥ずかしかったり、漏らすことが家族を裏切るような感じがしたり。



子どもながらに沢山のことを感じて、

それを押し込めていたのかもしれません。




>凍りついたままになってしまいます。



凍りつかない訳がないですね。





>ある特定のことに関して、トラウマとなったできごとのあった時点の

>年齢の考え方、感情、感覚で理解しているので、

>それは現実とはかけ離れたものになっています。



脳がどのように働くか?について、具体的に書かれていますね。

例えば

小学生の時に、クラスでイジメにあった経験がある方が

大人になって会社で同僚が「コソコソ話」をしていただけで

「また私の悪口を言っているのでは?」と

とてもザワザワしてしまったり、怒りや涙や汗が出たり。

たとえ、同僚は全く違うことを話していたとしても、

悪口を言われている!と感じてしまっても

私は不思議ではないと思います。



子どもの時に露出凶にあってしまった方が

大人になってからも男の人とすれ違うだけで、

怖くなって足早にドキドキしながらすれ違う。

またはすれ違いたくないので別の道を通る、とか。

その時の、季節感や匂いや時間帯などの似た感覚だけで

ふと蘇って苦しくなったり

理由もわからないまま涙がポロポロ出たりとか。



これは現実とはかけ離れたものになっていますね。

すれ違った男性は、あの時の露出凶ではないし、

子どもの時は怖くて声も出せなかった・

逃げることもできなかったかもしれませんが。

今は大人になっているので、大声を出して誰かに助けを求めたり、

いったん走り去って逃げて、通報することもできるかもしれません。





さて、ここからやっと明るい道が見えてきます。



>仲間やセラピストなどトラウマを理解してくれる人に、

>何度も繰り返して話していくうちに、

>だんだん現在の年齢なりに心の傷をうけとめられるようになり、

>視野が広がり、子どもとして抱いていた大きすぎる恐怖が

>小さくなっていきます。


何度も繰り返して話していくうちに・・・・


子どもとして抱いていた大きすぎる恐怖が小さくなっていきます。

と書かれてありますね。



ここで私がとても大切だなと感じる部分が

>仲間やセラピストなどトラウマを理解してくれる人に、

という部分です。

トラウマを理解している人・・・

残念ながらそんなに多くはないかもしれないと私は感じています。

世の中にご自身がトラウマを持っていると自覚されている方は

どのくらいいるでしょう・・・・




「私は子どもの頃に親にいつも叩かれたり、閉じ込められたり、

外に出されたり、お前はダメな子だと言われていたのが

今でも、とっても嫌で傷付いて悲しくて怒っているの」

と話してみても


・それは躾けだったんじゃないの?とか

・昔はどこの家でもそうだったんじゃないの?

・私もそうだったけど私は大丈夫だよ

とか言われそうですね。


それだけでは済まずに

・そんな昔のことで大人になった今も親を悪く思うなんて

どうかなと思うよ、そんなこと忘れなよ

とか言われたり。


これは「この方」の話したことを、

相手は「否定している」ということになりますね。


なぜなら、話した方の「私は」


・今でも、とっても嫌だった

・今でも、傷付いた感じがしている

・今でも、悲しい

・今でも、怒っている・・・んですから。





なので、セラピストや

安全性ということを理解している「仲間」に話すのでなければ

話してみても、2度傷付くことになっても不思議ではないと

私は思っています。


回復やご自信の成長の為に癒しの作業をするのには

安全な場所と安全な相手が必須だと言われています。





以上ここまでとします。

昨日・今日と参考文献からテーマを考えてみました。

現時点での私が考えていることの、ほんの一部を書いてみましたが、

3年後・5年後・10年後・・・・30年後・・・に読み返した時には

また別の、より多くの視点を持っていたり、

更に成長を重ねた私の感じ方が出ていることと思います。

この事をご承知の上、読んでいただけますと助かります。




ご自身を傷付けた相手を責めるための道具ではないこと、

レッテル貼りをしたい訳ではないこと、

できればご自身のために

相手をゆるしていけるといいな、と私は考えていることも

いつかまた書きたいと思います。



それでは、また








naomiyo929 at 12:30|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2014/10/22

*心の傷を繰り返し語る*ということの意味①


こんばんは、
リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

私の住む、釧路市は今朝とっても寒かったです。
子どもに今日から冬用の上着を着せたのですが手袋もあってもいいね、と
話しながら歩いていました。

札幌は雪が降る予報のようでしたが、降ったのでしょうか?






さてさて、
以前から考えていたのですが。

私がケアに繋がったのが2007年9月。
そこから「自分で出来る事」として様々な著書を読みまくりました。

こちらのブログでも、
私が「回復や成長」をするのにとても役に立った著書のシェアをしていきたいと思います。
名付けて「とてもお勧め著書コーナー」

今となっては「回復」という言葉には実は違和感も感じるひとりなのですが。

パニック発作が10年治まらずにケアに繋がった経験を持つ私が

最初に望んだものは勿論「回復したい・治りたい」ということでした。

また話が今日の本題から逸れそうなので、戻します(笑)
なぜ私が回復という言葉に違和感も感じるのか?については
またいつか書きたいと思います。






今日1日のアファメーション―自分を愛する365日





西尾 和美
ヘルスワーク協会
1997-02



さてさて、
今日は西尾 和美先生の
「今日1日のアファメーション~自分を愛する365日」 ヘルスワーク協会

を参考図書として様々な事を一緒に考えていきたいと思います。

この著書は私がセラピーを受け始めて一番、最初に購入した中の一冊で
何度も何度も、何年間も読み続けてきたものです。

基本的に、著書は折らないタイプなのですが、
もう折りまくって分厚くなっています。

それだけ自分に当てはまる部分だらけだったという事です。

なにかしらの生きづらさを感じていらっしゃる多くの方々には
とてもお勧めの一冊です。


今日は「心の傷を繰り返し語る」という事についてをテーマにしてみます。

私自身が最初の頃に感じていたことは

心の傷を語ることに何の意味があるの?という事や。
出来れば語りたくない、思い出したくもない・
だって思い出して具合が悪くなっちゃったら嫌だも~ん(><)
人の前で泣いたら嫌だ・・・困る・・・
余計惨めになるんじゃないの?・・・

だ~か~ら~っ
私は大丈夫なんだから、
症状さえチャッチャと取れればそれでいいのに!とか


というような事だったかもしれません、今思えばですけどね(笑)



では、ここから参考図書の内容です。


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心の傷を繰り返し語る

自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居場所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。

過去に受けた心の傷(トラウマ)を語りましょう。
 トラウマを心の奥深くとじこめていたり秘密にしておくと、
いつまでたっても傷付いたときと同じ状態に、
凍りついたままになってしまいます。
ある特定のことに関して、トラウマとなったできごとのあった時点の
年齢の考え方、感情、感覚で理解しているので、
それは現実とはかけ離れたものになっています。
たとえば、父親にたたかれていた人は
「男は皆、こわいものだ」という考えが固定化して
変化しないまま大人になってしまい、
男女関係がうまくもてないようなことがあります。
 仲間やセラピストなどトラウマを理解してくれる人に、
何度も繰り返して話していくうちに、
だんだん現在の年齢なりに心の傷をうけとめられるようになり、
視野が広がり、子どもとして抱いていた大きすぎる恐怖が
小さくなっていきます。
 いろんな角度から心の傷を繰り返し話すこと自体が、
癒しになることを知りましょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ここまでが、参考図書の内容です。


とても深~いですね。

私はこちらの著書を初めて読んだ時、またそれ以降の数年間は
わかったような?分からない様な?感じでポカ~ンとしていたかもしれません。

勇気を持って、もう一歩踏み出し続けてみて、実際に実行してみて
「心の傷を繰り返し語る」ことをしてみて、

初めて自分の変化に自分で気付き、
やっと、ひとことひとことの意味が理解できたような気がしましたね。

ひとことひとことが腑に落ちてなるほど!こういうことだったのか!!
と思うことが出来ました。
机上の学びプラス体感できた感じですね。

そして私は「この体感できる」ということをとても大切に考えています。


まず当時は最初の文章の意味がハテナ?だったかもしれません。



自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居場所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。



ここでまずはポイントですが、

「意識と無意識」というのがあるのですが、

「意識」は言語化できるような自分で認識できている部分と考えられています。

「無意識」というのは
自分のことなのに自分でもわかっていない、認識できていない、
なので言葉で表現することもできないような部分
と言われていて皆さん持っています。

今日はザックリとですが。



さて、戻りますね。


>自分は生きるのに、あたいする人間です。



当時の私はまだ自分が
「私は生きる値打ちがないダメな人間だ」
と実は感じていたことに気付いていませんでした。


でも、この無意識の方ではしっかりと
「私は生きる値打ちがないダメな人間だ」と実は感じていたんですね。
それだけ、とても自己評価が低かったんです。
劣等感の塊でした。もちろん気付いていませんでしたけど。

ちなみに「意識できている」方では
・別にみんな生きてるように私も生きてるけど、それがなんなんだろう?
とか思っていました(笑)




そんな私が
>自分は、自分のままでいいのです。

などと「無意識の方」で思えている訳がないですね。
こんなにダメな自分をなんとか頑張って変えなきゃ・変えなきゃと
認識はできていませんでしたが実は思っていたんです。


「意識できている」方では、
・私はバッチリよ!!と心から思っていたのに
!!です。




なので
>自分は愛するに、あたいする人間です。

とは真逆の
「誰も愛してなんてくれる訳がないこんな自分」と「無意識の方」では思っていました。
自分のことが大嫌いだったんです。


「意識できている方」では
・そんなこと、考えたこともなかったな・・・

・なんかいまいち意味わかんないけど・・・、
 どちらかと言えば普通に愛するにあたいする人間だと思う
と感じてました。





>自分は、自分の居場所をつくっていいのです。

「無意識の方」では
私の居てもいい場所がどこにもない・・・と嘆いて叫んで泣いていました。

居場所を誰かに作ってもらって、そこに居たいという願望がとても強く
自分で自分の心地よい居場所や温かな人間関係を作ってよい、
という考えが全くありませんでしたね。
それらは誰かから、与えられるものだと考え願っていたんです。


「意識できている方」では
・家賃払って住む家や自分の部屋はあるけどそういう事なのかな?
と思っていました。もちろん空間も大事ですけれどね。






>自分を、うんと好きになります。

「無意識の方」では
先ほども書きましたが自分のことが大嫌いでした。
・こんなダメな自分を好きになれる訳がないし、なってはいけない
・だから何とか頑張って好きになれるような自分にならなければならない、
とあがいていました。


「意識できている方」では
・う~ん、好きか嫌いかと聞かれれば結構好きかな、
・でもパニック障害なんて厄介な病気になっちゃった私はダメな弱い人間だから
 やっぱり大っ嫌い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と思っていました。



だからセラピーを受ける選択ができたのでこれら全てOKなんです(笑)



ここまで、参考図書をもとに
「意識と無意識」という考え方で過去の私を振り返ってみました。



私の「無意識の方」は
とても過酷な考え方の持ち主でしたね。

「意識できていた方」との大きな大きな違いにも
今更ながら我ながら驚きます^^;;





でも、
その過酷な中を「よくぞ、生き抜いて生き残ってきたね」
と自分で自分を褒めちぎってあげたいです。

というか、いつも褒めています。

私の場合は
主には「パニック障害という症状」でしたが

「症状というサインを出す力」も持っていた私、凄い!!

と、とても褒めて自分で自分を認めてあげているんですよ。

当時はもちろん苦しくて不安で辛かったですけどね。






今日はここまでで、

つづきはまた後日に書きたいと思います。




それでは、また









naomiyo929 at 17:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014/10/02

AC アダルト・チルドレン 再考


こんにちは、

リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

さて、10月ですね。

我が家は昨夜から本格的に暖房を入れています。


この秋も沢山楽しむ気・満々の私です。


秋色の美しいスポットに行ったり・旬の美味しいものを食べたり

おしゃれを楽しんだり。

また

秋は学びたくなる季節とも言われていますね。

10月は大きな研修がビッシリ入っていて今から嬉しい悲鳴の私です。



こちらを訪れて下さっている皆様はいかがお過ごしでしょうか?






  







さて、今日は「AC アダルト・チルドレン」という概念を

改めて一緒に考えていきたいと思います。

以前からこちらのブログに出てくる言葉ですが、

皆さま、「AC アダルト・チルドレン」という考え方や言葉は

ご存知でしょうか?

私がケアに繋がり最初に知ったのがこの考え方でした。



何らかの症状というサインや問題行動からの「回復を望む多くの方々」と

この考え方はとても密接だと私は思っています。

やはり外せない部分ですので

色々な捉え方があるようですが

セラピストの役割として私は書いていきたいと考えています。



まずご自身の身に

現実になにが起こっていたのかをしっかりと知り・気付き


そこからご自身がなにを受け取っているのか?を調べ

そこからの影響を知り

対応策を考えていけるといいな、と私は考えています。


そうする事で

ご自身の下の世代、お子さんやお孫さん、そのまた下へ

ご自身が受け取っているものを

なるべく手渡していかなくても済むようになっていくかもしれません。


これは勿論、そう望まれる方々は・・・という前提ですが。




日本という国に於いて

少しでもそうなっていくといいな、と私は考えています。


なので

必要を感じられた方は一緒に考えていけるといいですね。







  







AC(アダルト・チルドレン)

「安全な場所」として機能しない家族のなかで育った人々のことである。

 
アダルト・チルドレンは

「周囲が期待しているように振舞おうとする」

「NOが言えない」

「しがみつきと愛情を混同する」

「楽しめない」

「フリをする」

「自己処罰に嗜癖している」

などの特徴をもつ。


「アダルト・チルドレン」とは、自らの生きにくさの理由を自分なりに

理解しようと努める人がたどりつく、ひとつの自覚である。






こちらは

斎藤 学先生:著 「アダルト・チルドレンと家族」 学陽書房 

より抜粋したものです。





 
皆さんが育ったご家庭は「安全な場所」だったでしょうか?

私が育った家庭は残念ながら「安全な場」とは真逆な場でした。


まず、その事実を受け止める・認識できるのには時間がかかりるかもしれません。

受けた虐待も

「あれは躾けだったから・・・」と思い込んでいたり。


どこの家でもそうだったから・・・とか。

昔はみんなそうだったから・・・

と、思いたかったり・・・。


親の取っ組み合いの喧嘩を見せられて育っても・・・

父親のアルコール依存症を見て育っても・・・

母親の関心は「夫の酒」にばかり向いていて子どもには関心がいっていなくても・・・


叩かれたり、閉じ込められたり、外に出されても・・・



母親のパチンコや買物依存症、浮気(恋愛依存症)を見ていたり。

養育される事を必要とする子ども時代に

養育者の関心や愛情が子どもには向いていなかったり・・・


父親が仕事ばかりで、父親不在の子ども時代だったり、

夫不在の不幸な顔の妻(母)を見てなにかを感じながら育ったり・・・


嫁姑の醜い争いに巻き込まれたり、利用されたり・・・



外の顔と家での顔が違ったり、

いつもよその人やきょうだいと比べられたり・・・



「これはあなたのためなのよ」

「なんでも言う事を聞きなさい・なんでも私(母)に相談しなさい」

と言われ続け育ったり。

子どもなのに親のカウンセラー役をさせられて育ったり。


常に緊張の渦巻く環境で育っていて

大人になってからも少しの物音にビクビクしたり。



・・・・・・・・・・・・、

ほんの一例ですが、このように

「安心感」を全く感じられないような家庭で育っても

子どもはそこに適応して生きていくと私は考えています。

とても健気に・・・親を愛して・・・。


適応(マヒ)させることで生き残ってこられたのかもしれませんね。







  
  





ご自身の身にいったい何が起こっていたのか?

について気付きが得られたら。

次にそこからどのような影響・後遺症があるのか?

について考えていきます。




私は上記のアダルト・チルドレンの特徴(斎藤先生の著書)


「周囲が期待しているように振る舞おうとする」

「NOが言えない」

「しがみつきと愛情を混同する」

「楽しめない」

「フリをする」

「自己処罰に嗜癖している」




全て当てはまりました。6つ全部です。

凄いですね、過去の私^^;; 





「周囲が期待しているように振る舞おうとする」

これは、例えば

・嫁ぎ先で完璧ないい嫁を演じてみせる、とか。

その結果、「自分が本当はしたくもない」夫の家族とのお付き合いに

ヘトヘトになってうつに落ち込んだり。

これは「夫や、夫の家族の期待に応えて振る舞おう」として

またはご自身の中に

「親が望む嫁ぎ先でうまくやっていける娘である自分を振る舞いたい」

「完璧な人間・完璧な娘・息子であり続けなければ・あるべき」

というのもあるのかもしれませんね。




次に

「NOが言えない」

言えませんよ・・・NOを言ってOKな環境で育っていませんから。

NOや自分の意見、「自分はこうしたい」を言うと

「お前は自分勝手だ」

「自分の事ばかりじゃなくて、まずは家族の事を考えろ」

と怒られるような環境で育っていると

当然、怖くて言えませんよね。

自分の率直な意見を

「言ってはいけない」とさえ思い込んでいるかもしれません。

また

「自分がどうしたいのか?」

という事自体がわからなくなっているかもしれないですね。

なので

誰かに「こうしなさい」と言われたことを

その通りに・なんとな~く・生きてきた・・・というような感じ、とか。






次に

「しがみつきと愛情を混同する」

これは子ども時代の愛着対象である(主に)母親に

欲しくても・どんなに足掻いても貰えなかったと感じている愛情を。

なんとかして、

夫や恋人から貰おうと足掻いても不思議ではないと私は思います。


または

自分の子どもにしがみついて

愛情を持って見守るという事が出来ない。

その結果、いい年をした我が子の

「選択していく責任」を奪うという暴力をしている、とか。

この「我が子」は

大人になっても自分ではなにも決められない人になったり。

結婚生活(配偶者や子どもとのコミュニケーション)がうまく持てなかったり。






次に

「楽しめない」

「フリをする」

楽しめませんよ。

子ども時代に安全な場でノビノビと楽んでいい、という機会が少なかったらね。

親の不幸顔を見て育つと

「親が不幸なのに私だけ幸せになってはいけない」と信じ込んでいたり。

信じ込まされるような言葉があったり。



なので

フリをします。


人並みに・普通(標準)に・出来ていない部分が目立たないように

楽しんでいるフリ

勉強も出来ている(理解している)フリ

うちには何の問題もありませんから大丈夫のフリ。

私は全然、悲しくないから大丈夫です!なフリ。




最後に

「自己処罰に嗜癖している」

しますね~^^;;

なんだか分らないけれども、色々やってみても

どうも生きにくい・・・。

人間関係もうまく結べない私はダメ・・・

仕事が人並みに出来ない・続かない私はダメ・・・

誰かを悪く思ってしまう私はダメ・・・

○○が出来ない私はダメ・・・

表面ではうまく取り繕っていても、

実は罪悪感や劣等感でいっぱいの人生。


生まれてきてごめんなさい、

生きていてごめんなさい、とか。




果たして生まれてきた時からこう思って生まれてきたんでしょうか?

この生きにくさはどこから来ているんでしょうか?



それはやはり

「安全な場所」として機能しない家族のなかで育った

という事が大きいと私は思っています。




そして

ここには犯人はいません。

どんなに酷い親でもその親も似たような環境で育ったために

下の世代(私たち)にそのままの思考や行動を伝えているだけかもしれませんね。

なので、この考え方は

親を責めるための道具ではないと私は考えています。

そして

向き合うことはとても辛い作業でもあると思います。



心の傷・トラウマと

そこからの影響・後遺症は

思った以上に沢山あると思いますから。



私はパニック発作が10年続いたサインのお陰で

2007年の9月からセラピー(心理療法)を受け始めました。

「心の傷ってどんなのがあるのか?」を知り

「じゃ~、私のあれもこれも傷だ」と気付き。

なるほどな~、と思いましたよ。

こりゃ、パニック発作も起こすわな~と納得しました(笑)

脳って賢いです・・・凄いです。

でもその脳の誤作動をコントロールしていけるようになる

セラピー(心理療法)って凄いな、と

いち経験者として思っています。

一度の即効性のあるケアでピタリと発作が起きなくなりましたから。

あの当時はまだ「自分になにが起こっているのか?」について

受け止められる余裕など無かったので狐にツママレタ感じのみで

スルーでしたが。

今、よく考えてみると凄いな~、と思います。



また書きます。

それでは




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