リフレーム・カウンセリング ルーム 心理セラピストのblog

リフレーム・カウンセリングルーム 心理セラピスト/スクールカウンセラー 平野 なおみ のBlogです。 日々のことや「ココロとカラダのケア」についてを、「分かりやすい言葉」で「私 自身が楽しんで!」 をモットーに綴っています。【2022年HPの開設と共にブログをお引越ししました】

カテゴリ: 釧路発 パニック障害からの回復

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こんにちは、平野直美です。
北海道の他の都市に比べると雪が少ない釧路もこの週末に結構雪が積もりました。
子どもと犬は大喜びですね。

さて、こちらの写真は「真冬の桜の蕾・TUBOMI 」です。

私は桜の花が特別に大好きです。
この北海道の凍て付く寒さの中でも蕾の中では「春に咲くための準備」
がなされているんだろうな・・・。
蕾の中だけではなく根をしっかり張りめぐらせ
日光もしっかりと受け止め。

凄いな・・・と毎年思いながら眺めています。
自然の持つ生命力って本当に凄いですね。

そして人間の中にも、ひとりひとりの中にしっかりちゃんと「力」があると言われています。

その力に気付けなくて…探しても見つけられなくて。
自分の中に力があるなんて信じられなくて。
ただただ症状に翻弄されているだけのように感じ。
私の人生っていったい何なの?と
辛かった時期の自分を懐かしく思い返します。

今は
頑張ってよく生き残ったね!!
凄い力だね、私!!
と自分を褒めてあげたい気持ちで一杯です。

今は自分の中から力が溢れ出てくるので「あれもこれもやりたい」となり。
その願望に対しての優先順位を決めるのが大変です^^;;

こんな風に「元々持っていた自分の生きる力」をしっかり見付けて確信し味わえるのも
カウセリングやセラピー(心理療法)を受ける選択をし自分に向き合う作業を
続ける選択を
したお陰だなとつくづく感じます。

本当に良かったなと思います。


さてパニック障害からの回復も「5」です。

前回、初めてメンタルクリニックに行きドクターに「パニック障害」の診断を受け
ソラナックスという抗不安薬を処方されました。
今、計算してみたのですが今から18年前位です。
当時は「パニック障害」の疾患名は今ほど浸透していなかった事もあり。

自分に何が起こっているのかよくわからない。
けれども取り敢えず私は「パニック障害」という厄介な病気にかかってしまった。

そんな私は変で、駄目な人間だからこうなったんだ・・・という自動思考でした。
自分が悪いから病気になったと
本当に心から思っていました。

悪くないんですよ。変でもないんです。
その症状が必要だから起っていると言われています。
その「症状というサイン」を大切に考えられるといいですね。
せっかく自分の為に自分の力でサインを出していると私は認識していますので
私のように10年も無視しないで欲しいと思います^^;;
これは不安障害(パニック障害)に限らず、
と私は考えています。

まずは薬にすがる思いでした。
本当に藁にもすがる思いでしたね。
服薬すれば発作は起きなくなるかもしれない。
治るかもしれない、と。

その時、ドクターに質問した記憶があります。
「完治はしますか?」
「この病気を治すにはどう過ごしていくのがいいのか?」

「完治」に関してはこの時の私が欲しかった言葉ではなかったように
記憶しています。少なくてもその時の私はそう受け取りました。

どう過ごしていけばいいのか?に関しては
「なるべく、のほほ~んとしていて下さい」と言われました。

生育歴から「のほほ~んとしている事はダメ」思考が出来ていましたので
どう「のほほん」とすればいいのか?わからなかったと思います、私。
でも「私、のほほんとしていいんだ」と妙に嬉しい言葉だった記憶があります。

私の無意識レベルでは無自覚ですが
「私だってのほほんとしたい」
と実は感じていて。
そこにドクターから「してていい」という
言葉(許可)を貰い。
そこが嬉しかったんだと今は思えます。

シングルマザーだから、生活があるから
のほほんとしてはいけない!というのではなく
子どもに恵まれる以前からのほほんとは
出来ない私だったという事です。

その時の私には自分の心の中(意識と無意識)の声をじっくりキャッチする
という事が勿論できず。自分で意識できている方の声を自覚できるのみでした。
でもこの『無意識』では無自覚ですが本当に沢山の事を感じていると言われています。


帰宅し服薬を始め、不安感が少なくなる実感がありました。
これは薬が効いているな、と感じました。
でも残念ながらパニック発作はまた続いて起きました。

ここでまた「私は服薬だけでは治らないんだ」という絶望が無自覚であったと
思いますが自覚出来ていなかったと思います。
私はいちいち絶望なんてしていられない、という自分に対する
厳しい自分がいましたから。
この私に対して厳しい自分・・・本当に厳しかったですよ^^;;

そこから10年間、服薬を続けました。
勿論、波はありましたが発作はやってきました。
ひどい時だと毎晩、一晩に2回・3回という事もよくありました。

救急病院にも何度も何度も行きました。
我慢はしますが「私はパニック障害でこうなっている」
「おさまれば大丈夫だから」という冷静な脳の思考よりも。

「このままでは気が狂ってしまう」「本当に心臓が止まるかもしれない」
という恐怖が上回った時は仰向けで苦しがっている状態から頑張って起き上がり
タクシー会社に電話をする・・・という感じでした。

発作は強烈なので冷静な思考は出来ませんでした。
怖くて怖くてただ発作のその時間が過ぎ去るのを毎回毎回
ただただじっと待つ、耐える。

パニック障害に限らないと私は認識していますがその「症状」に対して
「怖くて逃げてもその怖さはいつまでも追ってくる」と思います。
これが逆効果となり10年も苦しかったんだろうな、と今は思います。

勿論、「怖さから逃げる」というのも「自分を守る防衛手段」なんですが。

ここでカウンセリングやセラピーに行く事を選択し
安全な相手(カウンセラーさんやセラピスト)に安全な場所で
「怖い」と話し受け止めてもらっていたら。
まず即効性のあるケアを受けられたら、サポートを受けていたら
10年も苦しまなかったと思います。
でもその時期、私の住む地域にはそのような治療的介入を提供してくれる
場所や人はなかったと認識しています。
飛行機に乗って東京へカウンセリングを受けに行く、などという思考は
全く浮かびませんでした。乗り物恐怖がありましたので飛行機に乗る事は
まさしく命がけでしたから。

発作が治まって「あ~、やっと眠れる」と。
発作時以外は日常生活が送れるので朝は会社に行きます。

でも日常生活でもスーパーに買物に行くのが命がけ、
広場恐怖です。人ごみに入ると「逃げられなかったらどうしよう?」
「具合が悪くなったらどうしよう?」と怖いんです。
「具合が悪くなったらカゴをそこに置いて出ればいい」と心に決めて
いつもスーパーに気合を入れて入っていました。
レジで待つ時は人が並んでいるので「逃げられない」と感じるため
頭がフワーっとなる、気が遠くなる感じが強かったです。

スーパー以外の大きなお店には行きませんでした。
逃げられないので。

美容室や歯科、温泉,銭湯などもダメになりました。
すぐに逃げられない・・・というか具合が悪くなった時にすぐにその場から
立ち去れないのが怖かったんですね。
あとは美容室や歯科は立ち去れない事プラス「首に巻かれる」事が苦痛でしたね。

トラウマの渦中にいると本当に行動が狭くなってしまいます。

会社でも大きな全体朝礼などだと100人とか集まるのでこれはきつかったです。
退席した事もありました。

気が遠くなる感じやお腹が痛くなる、でも行けないのが怖い。
今、考えればお腹が痛くなったらトイレに行けばいいだけなんですが。
またお腹が痛くなったらどうしよう?具合が悪くなったらどうしよう?
と、とても不安で怖かったです。
怖いのでまたお腹が痛くなる、また不安になるの悪循環。

常に脳が冷静な思考が出来ない状態になっているんですね。

元々、私はバスには乗りませんがバスに乗るなんて有り得ない感じでした。
電車やバスが主な交通手段の都会の方は大変だと思います。

パニック発作がどのような症状か?は以前もこのカテゴリに書いていますので
今日は触れずに。またまとめとして書くかもしれません。

それから私の場合は服薬だけでは治らなかったけれども
適切な服薬のみで治まる方も沢山いらっしゃると思いますので
ここは補足させて頂きますね。

そして大声で伝えたい気持ちです。
今現在、苦しんでいる方へ
ひとりで悩まないで


              つづく

DSC_0263 遠い所見にきてくれてりがとう















こんにちは、平野 直美です。

こちらの写真は以前Upしました、昨年、訪れました北見市の鏡池での一枚です。

蓮の花がと~っても綺麗にた~くさん咲いていました。

個人の方が育て管理されてそこに観に行けるスポットのようですが。

上部・右側の鐘に「遠いところ見にきてくれてありがとう」と書かれていました。

と~っても素敵でお茶目な方なんだろうな~と心が温まる私でした。

そして、このカテゴリ「パニック障害からの回復」の所を訪れて下さる方々も・・・。

おそらく何かしらの症状を抱えられ苦しんでいらっしゃる方々であったり。

またそのご家族やパートナー・友人の方が多いのではと想像しています。

その方々に私もこの言葉「遠いところ見にきてくれてありがとう」

お伝えしたくてこの一枚をチョイスします。

ご自身の身に起きている、または起きていた、

辛いこと・・・苦しいことに向き合われる「力」をお持ちの方だなと敬意を込めて。

私の経験がなにかしらのお役に立つのであれば・・・

の願いを込めて。書いています。元気になりたいですよね。また日常生活を普通に送れるようになりたいですよね。

え~と、どこまで書いたかカテゴリを見返したのですが重複するかもしれません。

まずは前回 Ⅲ・本格的に発症しました。

そして激しい症状・パニック発作が分かりやすく私にサイン・メッセージを

送っていましたが「私には何も起っていないから大丈夫・感じるなっ!!」を

10年間貫き無視していた私でした。


前回本格的に発症しました。

ある日突然にそれはやってきた・・・という感覚でした。

発症前日、友達の所に泊まりに行っていました、友達3人が集まりその子ども達とで

楽しいひと時を過ごし、翌日帰宅しまた通常のシングルマザー生活に戻る。

この生活を続ける事が今、思えば私にはとても不安だったんだなと思えます。

もともと「誰かに適切に守ってもらっている感覚」が育っていなかった私が。

そのまま大人になりシングルマザーとして今度は子どもと自分の生活を

守ること・・・。誰かにHELPを求めてもよい、甘えてもよい、

なんていう思考は皆無でした。

自分で選んだ生活、弱音なんて吐いていい訳がないと思っていました。

でも「世の中は誰も守ってくれない怖いもの・怖い出来事だらけ」

と思っている私は。なにかあった時の為・・・と昼夜働いてお金に全く困って

いるというのでなく馬のように働きます。何かあった時の為に・・・と。

夜は怖いのでお酒を飲みます、酔っていないと怖くて眠れない、

いてもたってもいられない、という感じでした。

近所で怖い事件が続きました。家に男が侵入しようとし警察を呼んだこと。

斜め向かいの私が元住んでいたアパートでの強盗事件。

深夜に包丁で刺され現金を奪われた、犯人は過去にも殺人事件を

犯し服役した人であったこと。

向かいに深夜、覚せい剤を服用している男が大声でドアを叩き

侵入しようとし警察に連行されたこと。

隣のマンションからの投身自殺、ご遺体がひどい状況であったこと。

大地震、内陸育ちの私には初めての「津波」。

川沿いに住んでいましたので近所の避難所から朝戻ると

津波の痕跡がくっきり残っていました。

とても怖かったです、全てがとても怖かったです。

そんな中での発症でした。


発症前日に一緒にお泊りした友達がナースさんでしたので

どこかいい病院はないか?TELしました。

既にこの時は内科ではなく私の行く所は精神科だなと

わかっていたんですね。

そしてひとりでタクシーに乗って病院に行きます。

とても嫌でした。気が重かったです。身体も重かったですが。

誰かに、知り合いに見られたらどうしよう?と不安でした。

暫し待ち診察室に入り、この時はとても信頼関係を持てる

ドクターでした。「パニック障害ですね」という診断でソラナックスという

抗不安薬を服用することになりました。


      つづく




さて、ここから本番・・・パニック障害、発症します。

16年前(くらい)のクリスマス直前に。
ある日、突然それはやってきました。

「突然」・・・と今、言葉が出てきたので前回書いた、
「正確にはその前に2度起っていた」という事は私の脳では

「謎」「原因不明」「ヒステリーってなんだよ?」・・・
程度の認識だったんですね。
まさか自分が「心の病」と分類される病気にかかる・・・
なんて思いもしなかった・・・てのが本音と。
「抑圧」という現象が起っていたと感じます。


またまた日曜日の16時位だったと記憶しています。
時間の記憶は子どもが観ていた教育TV・現・Eテレで
流れていた歌を鮮明に記憶しています。
「こねずみちゃ~ん、走れ走れ・ナンタラカンタラが来るよ~」
ってのが。その後、その曲が恐怖でした。

再び二日酔いで寝込んでいたのですが、胸がザワザワし
身体がワナワナ震え、歯はガチガチいってました。

心臓がドッキドキでまた心臓疾患か?と慌て。
気が遠くなり自分の身体が自分のものではない感じがし。
息がうまく飲み込めないような苦しさ、
強い不安でまさしくパニックに陥る。

このまま気が狂うのではないか?
このまま死んでしまうのではないか?という猛烈な恐怖感・・・

正直、これが一番キツかったですね。

でもこの時は、病院へは行かないんです。
家族が家にいたので家族に不安を与えてはいけない・・・と
なんとか翌日まで不安に耐えて、ただの二日酔いを
演じていたつもり・・・ですが、演じられる訳がない。
パニック発作、そんなに生ぬるいもんじゃないですもんね。


ここでpointです。

家族にはきちんと説明して伝える事は重要だと感じます。
                  ↓
特に子どもには適切に伝える事は大切だと感じます。
                  ↓
なぜなら子どもは親に起った一見、ネガティブな事を
 「自分のせいでは?」と感じてしまう傾向が強いと感じます。
                  ↓ 
そう思い込んでしまう事で子どもの心に
 「不必要な罪悪感が生じる」可能性が高いと感じます。
                  ↓
「全く必要のない罪悪感が生じる」事でその子が
 子どもらしい子ども時代を送れない為に、その時期に
 達成すべき
発達課題を達成出来ない
 そしてそれを大人になっても抱え続けてしまうので
 なにかしらの「生きにくさ」が発生してしまう可能性が
 高いと感じます。
 「一生、苦しむ子」ですね。
 
 発達課題がクリア出来ていないと後の人生に何らかの
 ひずみ、しわ寄せがいってしまう可能性が高いと感じます。




では家族(特に子ども)にきちんと説明して伝える為には?
                  ↓
まず自分が自分の身に起っている事(病気)をきちんと
理解して、認める事が重要だと感じます。
 「あ~、私のこれはパニック障害っていう病気なんだな」
 「パニック障害という病気の症状でこうなるんだな」と。
                  ↓
出来ればなぜ自分の身にこれが起ったのか?って所も
把握できると自分の為にもいいですし、子どもにも
ちゃんと伝えられて、子供は
 「あ~、そうなんだ~。自分が悪い子だからママが病気に
  なったんじゃないんだ・・・そこは良かった。」
  と感じられると思います。

また子どもの年齢に応じてわかりやすい言葉での
説明だととてもいいと思います。


なかなか出来ないですけどね。
私は「出来ない人・代表」みたいな感じでした(苦笑)。
家族へのカムアウトは数年前にやっとしました。
専門家の力を借りて・・・でしたけど。

これを書いていて、家族にもう一度伝えようと思いました。
自分の言葉できちんと。

「私が苦しそうにしているのを感じていて、不安だったでしょ」と。


親が何年間も通院して、服薬して。
同じ家の中でキツイ発作を繰り返して、何度も何度も
救急病院へ行く・・・。なんの説明もなく。
「ちょっと具合が悪いから・・・」と。

子供は不安にならない訳がないです。
その不安がいつか「家の秘密」になり。
その秘密を大人になっても肩に担いで、生きなければならない・・・。
辛いですよね。

親の病気以外にも、家の秘密というのは世の中、多々あると
感じます。
家族内のコミュニケーションの不全さや。
コミュニケーションが全くない・・・とか。
外の人にはとても良く見せるのに実は家族内では
怒りが渦巻いている・・・とか。
親が仕事のし過ぎ・アルコール・ギャンブル・借金・
薬物(市販薬や処方箋薬も含みます)依存などで
実は、子どもを情緒的に見捨てている・・・とか。

一方の親がもう一方の親の依存症を口では「嫌だ」と
言いつつも実は甲斐甲斐しく世話をする、
「夫には私がいなければダメ」と思い込みたい
その必要のある人の共依存症や。

DVや・・・。


逆に親側が、子どもを窒息させる程、溺愛する必要がある・・とか。



子どもがそこを生き残る為には、いちいち感情を感じていたら
辛すぎて生きていけないので、「なにも感じない子」が出来上がります。
これが感情鈍磨という技なんですが、誰に教えられる
訳でもなく自分で編み出すんですね

その他、子どもは家族の調整役・バランスを保つ・家族の問題を
外に出して外にHELPを求める・・・など
色々な役目を無自覚ですが自ら編み出して、
そして買って出るんですね


そしてそこで身に着けた技は大人になっても残っていて
ノーケアでそのまま生活する訳ですから、その結果家庭や
職場での人間関係につまずく・・・とか。
自分の生育歴が原因で「問題のある人」に惹かれがちなので
結果、恋愛がいつもうまくいかない・・・とか。
症状や問題行動を起こす・・・とか、自ら自分の幸せを壊すなど
様々な事が起ると感じます。



話がソレましたが、「なぜパニック障害が必要か?」という事と
家族の中で起る怖い話は密接
と感じますので
また改めてじっくりと。

パニック障害・私の場合・・・に戻ります。

この抑圧・否認などで長い年月、自分を守っていた私です。

抑圧というのは、フロイトが名付けた自分を守ろうとする
防衛機制のひとつです。
あまりに強いストレスや葛藤「怖いよ~・不安だよ~・なんで私が?」
などが起ると、心を崩壊させない為に人間は無意識レベルで
自分を守ろうとします。なにも起っていないから大丈夫・・・と。


生育歴から培った「何も感じない子だった私」が実は
無意識レベルでは沢山の悲鳴をあげていたんですね。
その悲鳴を私に教えてくれたのがパニック障害でした。


しかし・・・、私の歪んだ認知は簡単には変えられない・・・
というより自分の認知が歪んでいるなんて気付いていなかった。

せっかく無意識が「なんか色々怖いって言ってるよ~」と
親切に分かりやすく強烈な症状でサインをくれて
教えてくれているのに、また無視でした。

またもや自分の身に起こっている事さえも
得意の「自分にはなにも起っていない・感じるな」
でマヒさせていたんですね。その時の私には
そうする必要があったって事です。

                    つづく



 

  









今から16年も前でしょうか・・・
私がパニック障害を発症したのは、たしか28歳のクリスマス直前でした。

正確に言えば、それ以前にもパニック発作は2度、起っていました。
一度目は、ある日の日曜日の昼間に。
この時も12月だった記憶があります。

突然、激しい動悸が起こり立っていられないような感じで
痺れるようなめまいがし、意識が遠のき、フワーっと自分にベールが
かかったような感じで、自分の身体が自分のものじゃないようでした。
それと共に、激しい・・・というより地獄のような恐怖感が沸き
心臓をかきむしるような仕草で、タクシーで当番病院に行きました。

当然、私は何かしらの心臓疾患では?と思い、待合室でひとり身悶えていました。
所が、内科医のDrからビックリする言葉が出ました。
「ヒステリーだよ」と。

その時は心理の専門家の学びを当然していなかったので、知識もなく。
「ヒステリーってあのヒステリー?」
「で、なんでヒステリーでこんなんなるの?」
とかなり訳が解らず。
腕に注射を一本打ってもらい、しょんぼりしながら帰宅しました。


さて、ヒステリーとは?

神経症(かつて用いられていた概念)の一種で記憶や意識の統合能力が
失われたり、解離、疼痛、胃腸障害、歩行障害、マヒなどが現れる。
とされています。


二度目はそれから数年後のまたある日の日曜日の昼間に。

同じように、心臓がドキドキMAXでいてもたってもいられない不安感と恐怖感で。
またなにかしらの心臓疾患では?と感じタクシーでひとり当番病院へ。
内科医のDrは「心臓に異常はないが心配なら一度心臓の専門医へ」と。
この時も一度目同様に、診察室に入る頃にはドキドキは治まっていたのです



さて、この一度目と二度目の共通点を考えてみたいと思います。

日曜日の昼間に起きている事。
二度共、激しく二日酔いでゲロゲロ状態であった事。

元・仕事依存症・アルコール依存症の自覚がある私なのでつっこんで書きますと。

・日曜日→休み→寝ている→自堕落な怠け者→自分を責める→
 働く事でしか自分の存在価値を見出せない人

・無自覚だが自分に自信がなく嫌い→飲むとハイになり自分で自分を
 楽しく出来る錯覚 →アルコールとパニック発作は密接

ついでに「風邪をひいた時」と「カフェイン」もパニック発作は密接な関係と
 経験上、感じます。


緑の部分は参考文献として:
                これならわかる!精神医学:上島国利著:ナツメ社より抜粋


                                  Ⅲへとつづく

今日は、私の経験を書いてみたいと思います。

今、この時間にも・・・
パニック発作が起きていて、地獄のような苦しみと
死の恐怖にひたすら耐えていらっしゃる方
沢山いるのでは・・・
と感じるからです。

または、いま発作が起きていなくても
「また起るんじゃないだろうか?」
予期不安でいっぱいの方もいらっしゃるのでは・・・と思います。

ご家族やパートナーが、パニック障害で苦しんでいらして
どうする事もできずに、心細い想いをしながらも、ただ寄り添っていらっしゃる方も
いるのでは・・・と思います。

そんな沢山の方々に、私の経験がお役に立つ事があれば
とても嬉しいのです。

希望を持って欲しいのです。
生きる事を、絶対に諦めないで欲しいと心から願っています

なぜなら
パニック障害で10年間苦しんだ私は
希望なんて見出せず、生きているだけで辛かった。

これは、回復した今だから感じて思える事です。

その真っ最中の10年の間は、
波はありましたけれど、ほとんど毎晩と言っていい程、発作はやってきました。

一晩に、一度では済まずに、二回三回と起きる事もありました。

毎晩、何度も絞首台に登らされるような感じですね。

そこで私は、何を考えていたかというと何も考えないんです。

発作が治まると、やっと眠れる。
そして翌朝は何事もなかったように、パンスト履いて化粧して
仕事に出かける。そして馬のように働く。

ここで何が起っていたかというと、感情鈍磨 という技です。

なにも起っていなかった事にする。

辛いとか怖いとか苦しいとか、もう嫌だとか、治りたいとか
脳の奥底に押し込んで、見なかった事にすると感じなくて済む。



辛いとか怖いとか苦しいとか、もう嫌だとか、治りたいとか
奥底に押し込まないで、ちゃんと感じて認識できていれば。

そして
安全な場所で、安全な相手に口に出して言えていたら、
10年も苦しまなかったのではと思います。

でも私は、弱音を吐いていい、HELPを出してもいいと習わなかったので。

バチがあたったんだ・・・と自分を責め、

でも責めたくないので、何もなかった事にする・・・

自分の身に起っている事さえも
「見ざる・言わざる・聴かざる」
で、ひたすら耐えて、貫いていたんですね。



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