信じてもらえないことの悲しみ⑴ ↓
大型台風が過ぎ去り、澄み渡る秋の空の下で
優は憂鬱な気持ちでいた。
2つ上の兄が帰宅し、真っ先に妹が起こしたとされたその日の学校での大事件の様子をを母に言付けた。
母はいつも兄の言う事だけ信じる。
鵜呑みにする。
そして母は優の言う事は信じない。
小学校4年生の優がもっと小さな頃は、癇癪を起こしたり
家の物を壊したり、壁を蹴ったりの努力で分かってもらえない悲しみを現していたけれども
もうそれらが無意味な事に気付き始めていた。
優の育てにくさに兄はいつもからかいの言葉と笑いを向け、
母は小学6年生の息子に娘の育てにくさを言語からも非言語からもいつも嘆いていた。
兄と母はセットで自分は除け者、、、
優も勉強はかなり出来た方であるにも関わらず、通知表ではいつも兄と比較する言葉が
母の口から出た。
なので優と兄は仲が悪い。口もきかない。
信じられる息子から事の顛末を聞いた母の焦燥感が更に増した。
母は父に話し、まさと君の家に謝罪に行かなければならないと話していた。
自分はやってないのに、、、
優の気持ちだけがポツンと取り残された。
そして、やっぱり誰も信じてくれないんだな、、、
と思うしかなかった。
そのうち両親がなにか揉めているのが聴こえてきた。
父 「こういう事は母親が行くもんだから」
母 「なんで私ばっかりが」
というようなやり取りだった。
対人恐怖者の父はどんな場面にも行きたがらない。
そしてその事は、その家の強固なタブーとなっていて誰も口にはしない。
優は、互いに迷惑そうな両親の表情と言い合いをボーッと見てただ聴いていた。
あ〜、自分は親にとって迷惑な存在なんだな、、、と改めて知ったが。
そして「やっぱりな」と悲しい感情を一人で孤独に味わった。
「悲しい訳がない」と強がるもう一人の自分もその頃にはしっかりと優の中に存在していた。
結局、母が一人で謝罪に行ったのを眺めていた。
家庭を顧みない、家族と本当の意味で向き合わない選択をしている父はさっさと仕事に戻ったが
その表情や全体像から怒りと緊張が満ちていた。
もちろん出掛けて行った母からも。
この出来事は、何十年経っても優の心に大きく傷として残っている。
心の傷からの後遺症、影響として
自分は相手にとって迷惑がられるようなダメな存在である
誰かに信じてもらえないのは自分のせいである
信じてもらえないような自分が一体なんなのかわからない
などの歪んだ認知の元として、この後も傷付き体験と
信じてもらえない悲しみを抑圧する為の「怒り」の感情が蓄積され優のパーソナリティを形成していった。
混乱と怒りの人生は、感情のみではなく
その後の人間関係やパートナーシップにも、当然、深く深く影響していった。
そこからの回復は、長い年月が必要だった。
ただ優の力のある所は、問題の本質をみれる子であった事。
両親が喧嘩をしているのを目撃すると
子どもは「自分のせいで親が喧嘩をしている」と思ってしまいがちだが
優は「自分のせいではないこと」を見抜いていた。
そう、親の不仲は親の問題。
そこに子どもを巻き込むな。
夫婦喧嘩を見せるのも心理的虐待である
という事を知った時に、優は自分って凄いな!と思えた。
まさと君の家では、シマリスを飼っていて優たちは学校の裏手に建つ教員住宅の窓越しに
何度も見に行っていた。
阿寒の燃えるような紅葉の下で、何十年振りかでシマリスを見た時に
優は40年前のこの出来事をありありと思い出していた。
そして、あれは悲しかったな!とひとり苦笑いした。
そして、まさと君は今、どこにいるんだろうか?
会ってみたいな。
そして、聴いてみたい。
「あの時の怪我って、私が投げた枝が原因だったの?」と。
〜今回の小説チックな物語〜
end🍁🐿