リフレーム・カウンセリング ルーム 心理セラピストのblog

リフレーム・カウンセリングルーム 心理セラピスト/スクールカウンセラー 平野 なおみ のBlogです。 日々のことや「ココロとカラダのケア」についてを、「分かりやすい言葉」で「私 自身が楽しんで!」 をモットーに綴っています。【2022年HPの開設と共にブログをお引越ししました】

タグ:性的虐待


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こんばんは

釧路のカウンセリング ルーム
心理セラピストの平野です。

今日の午前中に私が副代表をつとめる「家族と子どもケア・サポートチーム」⬇ https://www.facebook.com/kazokutokodomo.kusiro/ 運営する

~大切な人を自死でなくされた方のためのセルフヘルプ・グループ~
を終えました。

その後、久々にデカフェではないコーヒーを飲む選択をしましたので、ふと気付くと

「あれ?なんだか眠くならないぞ」状態です^^;





しばらくこちらの更新をする時間の確保が出来ずにいまして

自助グループ日程のご案内ばかりとなっていましたが

新しいPCが来ましたので、また書いてゆきたいと思っています✨

PCが不調であったこの数ヶ月間…

メール返信や様々な業務をこなすのに、いつもの3~4倍の時間と労力を要していたと思います。

長かったです(>_<。)

スマートフォンとiPadで、数倍の時間と労力はかかっていたけれども、なんとかなってしまっていたので…

でも時に「キーッ」となるのは自分に優しくないですね。

ストレス特大でした(>_<。)


…という事で二代目であるマイPCさんと共にサクサクとやっていきたいと思います❤💚

その前に、まずは使いこなせるようにならなきゃね…
なのですが、一代目と比べるとバージョンアップしているのでまだまだチンプンカンプンです。


話を戻します(笑)


眠くならないなぁ
あっ、そう言えばカフェインだな^^;

じゃ、時間を有効に使いたいのでブログ書こう!


って事で、布団の中で横になりながらの更新です。
寝転びながらなので明日の肩凝りは確定(・∀・)


え~と
今日の夕方、やっとやっと眼科に行って来ました!

一昨年位から眼鏡が合わなくなったかな?

と感じていて

昨年は、本当に視力が落ちている事を切実に感じていました。

私は今年、1月に50歳を迎える事が出来ましたので

「老眼」の二文字が出てきましたが
周囲の同年代に話を聞くと

どうも老眼ではないのではないか?

ドラッグストアで見付けた老眼鏡を店頭で「試しかけ」してみても

全く「よく見える」状態ではない…


これは何か目の病気なのではないか?

の黒い渦のような不安が日に日にグルグルしていました。

時間の確保がなかなか取れないという事もあったとは思いますが

それは言い訳のひとつで「マヒさせる」という防衛規制が働いていたのかもしれません。



健康であった自分を失う

という事は大きな大きな喪失体験です。



私がまだ自分のトラウマと向き合い始めて間もない頃に受ける選択をした心理アセスメントで

「自分はなにか大きな病気ではないか?」

と過剰に、病的に、不安を感じていた自分の状態を知り愕然とした経験があります。

長年の漠然とした不調でドクターショッピングのような状態になっていた時期もありました。

「過剰に、病的に」の、ここもトラウマからの後遺症なだけだと思います。

思い当たるエピソードが沢山あります。

その状態を理解してから、自分の健康に不安を抱いても、もう翻弄されなきゃいいや

と考えたんでしょうね…当時の私…

「いや、私は大丈夫だから」
「不安は幻想だから」

と思い込むようになっていたように思います。

怖いのでなるべく考えないように無意識でしていたり

不安から逃げる事は悪い事ではないけれど、逃げればその不安はどんどん追ってきたりしますね。


って事で、私の現在のプロセスに於いては時間が必要でしたが、今日やっと1年越し位で眼科に行って来ました。

偉い!自分!



それで結果は、元々の乱視が「酷いね~」と言われましたが

それ以外の目の病気はなく

「見えなくなったのは老眼だね」

との事で胸をなで下ろす想いでした。

なので「見えなくなったと言う不便」はありますが老眼に対するショックはなし!



今週、処方箋?を持って張り切って眼鏡店に行って来ます。

2,30代はコンタクトにしていましたが、たしか小4位からずっと眼鏡使用な私…

初めて眼鏡で登校する時に嫌で嫌で堪らなかった事

男子に「メガネザル~」と、かなり、からかわれて傷付いた私のインナーチャイルドがいました。

もちろん「はぁっ?別に言われたって全然、傷付かないし、私」という反動形勢お得意の素振りをするのに成功していたと思われますし

自分でも傷付いていないと思い込んでいましたが

自分の心の傷を扱っていくうちに、とても傷付いていた自分に傷付けました。

その男子のひとりは、私のほぼ初恋の人でしたしね(>_<。)

「メガネザル」の前には「男みたい」とも言われていたベースもあります。

コンプレックスの塊であった訳です。



って事で、今回は眼鏡部門での人生のリベンジです。

おしゃれ眼鏡店で、専門家の方に私に似合うフレームを選んでもらおうと企んでいます。

「セラピストなので知的な感じで私に似合うデザインを選んで頂けますか?」
かな…セリフは

楽しみです💚❤



容姿や体型に自信がもてない…
自分が醜いと思い込んでいる…
自分の存在が相手に不快感を与えているのでは?といつも不安だ… 

おしゃれを楽しめない…
または逆に派手派手や全身ブランドの鎧を着る事で自信の無さを隠す…

いつも通販で試着なしで洋服を買ってしまう…
お洒落ブティックに入ってみるのに物凄い勇気を要する…

いざ入っても店員さんに「来ないでオーラ」をオラオラと放つ…
来たら逃げる…(笑)
こんな容姿の私が場違いなお店に来てしまってすいません(>_<。)と思い込んでいる…



綺麗だよね
似合うよね
格好いいよね~

などと誰かに言われても、全く受け取らない…
いやいや…そんな事ありません…
などと答えてしまう…

これは嘘だ!なにか魂胆がある?とさえ思ってしまう…

自分の写真を見る、見られるのが嫌で堪らない…

思春期に本当は「私も」聖子ちゃんカットにしたかったのに、美容室でその事を1度たりとも言えず…
こんな自分には言う資格がないから位に思い込んでいた…


自分は汚い…
汚れてしまっていて人とは違うから…

自分に自信がもてない…

などなどなど…



特に、数年前に「内面だけではなく外側からも変化したいな」と
骨格診断などのファッション診断カウンセリング、カラー診断などを受け

あとは自分の「恋愛の振り返り」や「生育歴」などをセラピーやグループ療法で扱い続いていくうちに

無意識では私、傷付いていたんだな~
そして、こう思ってたんだな~

の「かつての私の実話」の一部でした(笑)

信じられないかもですが、ご参考までに!



心の傷は、怪我やレントゲンで見えるものとは違って、目では確認できませんが、
深い傷として残ってしまうような否定や侵入や暴力があった場合

その事を誰にも話せなかったり、話せても安全に受け止めてはもらえない状態がずっと続いていたり

気付いて欲しくて、助けて欲しくて、問題行動や症状と言うサインを出しまくる力があっても、無視されたり、否定されて2度傷付いたり

「もう2度と傷付くまい」と必死なので、そこに蓋をして、あった事を無かった事にいつしかするようになったり…


過去の体験からの後遺症が現在にまで影響を及ぼし「悪さ」をする事が多々あるよね…と

私は自身の経験と、そしてこのお仕事を通して日々、感じています。


なので、
自分だけは自分を見捨てずに、
ここまで回復や成長をしてきた
自分のパワーを誇りに思いつつ

心地よく眠気が訪れました。



それでは、おやすみなさいませ❤💚









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~ ㊗ 50 歳 記 念 ~




乱視がきついので眼鏡ができるまで
時間がかかるかも、と言われました。
来月辺りから老眼鏡をかけていると
思われますので楽しみにしていて下さいませ(なにを?🍃)







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こんにちは

リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

東京では積もる程の雪が降り・・・道東もこれから大荒れになるようですね(><)

こちらを訪れて下さっている皆さまはいかがお過ごしでしょうか?



さて、以前 「虐待の世代間連鎖ということ ①」 を書きました ↓
  
    http://trackback.blogsys.jp/livedoor/naomiyo929/44830642


今回は「虐待」 保坂 渉氏:著 岩波書店 を参考文献としてまた一緒に考えてみたいと思います。


以下内容です ↓



受容しないことが最も基本的なアビューズ(虐待)だ

 精神科医・家族機能研究所代表 斎藤 学先生


情緒的ミルクが必要
 

 日本の社会では「親が愛する子どもを傷つけることなど考えられない」という
「家族神話」が根強く信じられている。それは精神科医や臨床心理士といった「心の病」を
扱う専門家の間でも同じだ。
 「子どもを虐待するのは特別な親」という偏見から、虐待がどこの家庭でも起り得る
家族病理や社会病理であるという視点に立ち、親や子どもの治療に取り組んでいる人たちは
まだ一握りにすぎない。家族機能研究所代表の斎藤学さんは、その数少ない専門家の一人だ。

(中略)

 一章から四章で紹介した子どもを虐待した四人の母親は、それぞれ育った家庭環境や
経済状況などはバラバラで、表面的には共通項はないように見える。
だがその生い立ちをたどっていくと、子どものころから、親や周囲の人たちに受容された体験が
ないまま成長してきたことがわかる。
 受容は人間が健康に成長していくためには欠くことのできない「心のミルク」のようなものだ。
「心のミルク」が十分に与えられないまま育つとどうなるのか。
「受容」という言葉を手がかりにして虐待の問題を考えてみたい。
 斎藤さんは、なぜ親が子どもを虐待するのかその背景を解き明かしていく上で、
虐待する親自身の受容体験が重要なカギになると言う。
 「子どもは親から「こういうのを親バカというのかね。あんたが何をやってもかわいいよ」
と言って受容してくれる情緒的ミルクが必要なんです。こうした「あるがままのお前でいいんだよ」
という親の受容があってこそ、子どもは「世の中に生きていていいんだ」
という自分自身に対する信頼を持つことができる」
 子どもはさまざまな欲求行動を通して親に愛情を求め、親はそれを受け入れることによって
安定した親子関係が構築されるわけだ。
 ところが親が子どもからの愛情欲求に応じなかったり、愛情を求めることを禁じて受容しなければ
子どもは「親から愛されていない」「自分は生きている価値がない」と、親の態度や言葉によって
生きる誇りや自信を失ってしまい、心に深い傷をつくることになる。

 「子どもが必要なときに親から受容という情緒的ミルクを与えられないのは、子どもが成長していく上で、
それ自体が最も基本的なアビューズになるんです。子どもの自己肯定感を傷つける親の態度は、
暴力があろうがなかろうが虐待そのものです」
 虐待は一般には身体的虐待、性的虐待、心理的虐待それにネグレクトの四つに分類されている。
私たちは虐待という言葉から、子どもを殺してしまったり、瀕死の重傷を負わせる残酷な親を
想像してしまうが、実際には親が暴力を使った虐待は一部にすぎない。

 斎藤さんが指摘するように、親が子どもからの愛情欲求を受け入れず、子どもの心を傷つけることが
最も基本的な虐待であるとすれば、まさに虐待は特別な親だけが引き起こす問題なのではなく、
どこの家庭で見られても不思議ではない光景なのだ。
 「子どもの虐待は英語の「チャイルド・アビューズ」の訳なんですが、本来は子どもの養育に責任を
持つ大人の子どもに対する不適切な行動や態度の総称なんです。
虐待と訳すと、そこに込められたいろいろな意味が落ちてしまうことに、注意しなければいけない。
親が子どもに暴力を振るったり、口汚く罵らなければ虐待にならないかというとそんなことはない。
外からは子どもをやさしくやさしく育てているように見えても、子どもが必要としている時期に
情緒的ミルクが全然ない家はいくらでもあります。
親の生産性が高く知的な家庭ほどそうではないでしょうか。お金と時間をかけて子どもを育てるが
基本的には愛がない」
 親が子どもを受容しないという不適切な親子関係が先にあって、それが身体的虐待や
性的虐待などと分かちがたく結びつくことになる。
 「身体的な虐待や性的虐待があって受容されているということはちょっと考えにくいですからね。
性的虐待では「お前がかわいくてしかたがないんだよ」みたいなところから入っていく場合もありますが
「私は望まれて生まれてきた」と思っている子はそこで「何するのお父さん」と峻拒できる。
ふだん父親から受け入れられていないという強い感情を持っていて「受け入れて欲しい」
と思っている子が被害者として、また被害を繰り返す子として何年もそういうところにとどまるわけです」
 





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さて、一緒に考えてみたいと思いますので、一旦 平野に戻りますね。

こちらを訪れて下さっている方々の中で、「ご自身がおかしいのではないか?」と

感じられていて、悩んでいらっしゃる方も中にはいらっしゃるかもしれません。

いつもまわりの人とうまく関われないと感じていたり・・・

いつも怒りや悲しみの表現のコントロールができないとご自身を責めていらっしゃったり・・・

理由もわからないけれどもず、漠然と「消えたい・いなくなりたい」と感じられたり・・・

理由がわからなければ「私がヘンだからこう思っちゃう?」

という思考になってしまうことは私はごくごく自然なことかもしれないと思っています。

でも、本当にご自身がヘンだから、そう感じられるのでしょうか?

ここに書かれてある本来ならば

子ども時代に必要であった「受容」「心のミルク」は十分に満たされてたと感じられていますか?

親が子どもからの愛情欲求に応じなかったり、愛情を求めることを禁じて受容しなければ
子どもは「親から愛されていない」「自分は生きている価値がない」と、親の態度や言葉によって
生きる誇りや自信を失ってしまい、心に深い傷をつくることになる。

と書かれていますね。

その通りだと私は思っています。





では、ここからまた参考文献に戻りますね ↓


 では子どもが親から受容されないと、どんな問題を抱え込むことになるのだろうか。
子どもは「親から愛されていない」というメッセージを受け取ると、
自分は「親に愛される価値もないのだ」という自己否定感を強く持つ。
 「受容体験のない子どもは自己評価が低いですから、どうしても「もっといい子にしていなきゃ
親に受け入れられないんじゃないのか」と思い込む傾向がある。
親に気に入られるように振る舞い、そのためには自己主張をせず、自分の感情を押し殺して
「いい子」を演じようとする。自分に自信がなくて傷つくのが怖いから、自分の行動を
「このぐらいだったらいいですか」と言って、いつも親や世間の顔色をうかがいながら、
迎合していくというのが彼らの生き方です」
 子どもが親に受け入れられようと、自分の欲求を抑え込み「いい子」を強迫的に演じるとき、
子どもは自分のためではなく親の欲求を満足させるために行動することになる。
 本当であれば、親が子どもの欲求を満たす役割を果たして子どもは満たされるはずなのに、
親子の役割が逆転してしまい、子どもは親に利用された人生を生きなければならなくなる。
 しかも、こうした子どもは相手の欲求を満たすという行動を、親に対してだけでなくどこでも再現する。
自分の顔を隠し相手の顔色をうかがう生き方は、感情を鈍磨させ生きる喜びも消し去ってしまう。
 子どもにとっては当然強いストレスとなるが、自分が受け入れられているという安心感がないので、
ますます相手の欲求を満たそうとする悪循環に落ち込みやすい。
それは四人の母親の軌跡を見てもよくわかる。子どもが自分の人生でなく親に利用された人生を
生きることは、暴力的な意味合いが濃い虐待のイメージとは結びつきにくいが、
心を殺されていく虐待であることがはっきりする。
 「虐待の親を治療していて一番むずかしいのは、「いろいろあったけど、結局、私は世の中に
受け入れられていないんだ」という受容体験の欠如による心の傷が、最後まで残ってしまうことなんです。
自分が子どものころ親に暴力を振るわれたりした虐待の場面を思い出す、フラッシュバックに
苦しむことは珍しくありませんが、それは比較的早く取り去ることができるんです。
でも子どもが親に受容されず、逆に親の欲求を満たすために利用された傷は、誰か受容してくれる
人にめぐり会えればいいのですが、大人になってもさまざまな心理的な不適応をもたらす原因になり、
最も厳しいアビューズではないでしょうか。
 親が受容することなく子どもを利用するという虐待では、子どもたちは必ずしも親に受け入れて
もらおうと「いい子」を演じきれるとは限らない。時には受容されない怒りや苦しみが、想像を
絶する強烈な攻撃的なエネルギーとなって外に向かうこともある」




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ここから、再び平野に戻ります。

「子どもが親から受容されないと、どんな問題を抱え込むことになるのだろうか」

ということについて書かれていますね。

子どもは「親から愛されていない」というメッセージを受け取ると、
自分は「親に愛される価値もないのだ」という自己否定感を強く持つ。

この子どもの心理は私は当然だと思います。

なぜなら子どもは、親を愛しているからです。

たとえ、どんな親であっても無償の愛を求め、それが叶わぬことだと子どもながらに理解し

絶望しながらでも育つということを考えると、子どもって本当に健気ですね。



そして

 「受容体験のない子どもは自己評価が低いですから、どうしても「もっといい子にしていなきゃ
親に受け入れられないんじゃないのか」と思い込む傾向がある。

と書かれていますね。

過去の私自身の「自己評価の低さ」についてはこちらで散々書いてきましたね(笑)

大人になってからもまわりでなにか問題が起きると、自分は全く悪くないのに

いちいち「私のせいか?」とビクビクするような人生でした。

まわりの集団がなにかコソコソ話していたら、自分のことを言われている訳ではないのに

「私のことを悪く言っている?」といちいち反応したり。これらは無意識レベルで起こっていましたので無自覚でしたが。



親に気に入られるように振る舞い、そのためには自己主張をせず、自分の感情を押し殺して
「いい子」を演じようとする。自分に自信がなくて傷つくのが怖いから、自分の行動を
「このぐらいだったらいいですか」と言って、いつも親や世間の顔色をうかがいながら、
迎合していくというのが彼らの生き方です」


私はケアに繋がるまで本当にこの通りに生きていました。

自分の感情をいつも押し殺して相手に合わせた、いい子を演じようとばかりしていると

自分がいったいなんなのかわからなくなっても不思議ではないと私は自身の経験からそう思います。

世間様の顔色もいっぱいうかがってきました。

「ひとに迷惑をかけるな」「ひとに笑われないようにしろ」

「お前のせいでうち(家)が世間(隣近所や親戚など)に笑われる」

などの言葉や態度(非言語)がいつもあると、とても辛いと思います。

今は心の傷を癒して何年も経ちますので自己評価はとても上がりましたが

それでも「傷付く」ということを「過剰に」恐れている自分も時々は存在しています。

相手に見捨てられて自分が傷付くのが怖いから最初から人と深くは関わらない癖がある・・・とか。

「人は自分を裏切るものだ」

「でも私は強いから裏切られても全然、大丈夫だから」を前提にそこ覚悟してから関わる傾向がある・・・とか。

本当は「自分をひどく裏切る人ってそんなにはいない」と既に知っていたり

もしひどく裏切られるような体験があったとしたら

その時はもちろん傷付くのは悲しいのに!です(笑)



癒してもトラウマはゼロにはなりませんが、もちろん今ではここに翻弄されなくなっている

自分がいます。生涯通して繋がり合っていたい先行く仲間・共に行く仲間もいっぱいできました。


心を殺されていく虐待であることがはっきりする。

と書かれていますね。

繰り返しになりますが本当にその通りだと私は思っています。

まずは「自分の心の傷に気付けて」本当に良かったと思っています。

そして「虐待の世代間連鎖に犯人はいない」という知識を頭だけではなく

身体にストンと落とし込ませられるまでケアを受け続る選択をしてきて本当に良かったと思っています。



生きていくことが本当に楽です。







それでは、また



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こんばんは、

リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

今朝はこちら ↓ が咲いていました^^






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ピンクと紫色の芝桜と、あやめでしょうか… 綺麗~


この時期、ついつい花だらけの投稿になってしまう私です(笑)


生命が動き出す季節!という感じがして

とってもパワーを貰えます。





さてさて、

先日の札幌滞在では、お仕事をさせていただく事と

学びもしてきました。


今回の学びのテーマは

~子どもへの虐待~
身体的、精神的、性的虐待
そして、育児放棄というネグレクト


(その他にもたくさんのテーマがあったのですが)




ここ最近、私が感じていることは

「虐待」というと、今の日本での一般的な捉え方として

子どもが骨折や大怪我をするまで殴る、蹴る、

子どもが死亡してしまった…


レベルまでいかなくては、「虐待だ」と

認識されにくい…のか、と感じるエピソードがありました。



もちろん、

大怪我や、死亡に至ってしまう前に、なんとか手を打てなかったのか…

と、新聞報道などを見る度に ひとりの母親として

ガタガタと崩れてしまいたい程に、心が痛みます。


同時に、ここまでいかなければ虐待とは

考えない、捉えない方々が大勢存在する事も

とても感じています。


今までの活動の中で、散々発信してきているつもりですが

今後もセラピストの役割のひとつとして

受信と発信をし続けていきたいと思います。



身体的虐待は、ある意味見付けやすいのかもしれません。

目で見ることができますから。

服に隠れて、見えない部分のアザなどは

身体測定や、体育、部活動の着替えの時に

見かけた…気になった人が誰か信頼できる

大人に相談してみて欲しいです。


大人の私たちは、是非子どもたちが

「信頼できる大人」と感じられるような大人でいたいですね。

私たち、大人のひとりひとりが

周りにいる子どもたちと

子育てや人生そのものに苦しんでいるかもしれない母親たちに、「関心という愛」を

向けられる社会になっていくといいですね。

アメリカでは、虐待の可能性を知った大人が

通報しなくては、その大人が罰せられます。

州によっては、知ってから何十時間以内に通報しなければならない、

という明確な規定を設けている州もあるそうです。

日本は、アメリカほど厳しくはありませんが

もし、間違っていてもいいので

なにかおかしい…と感じた場合は

勇気を持って行動できるといいですね。

その勇気がもしかしたら誰かの

命やこころ・いま・未来を守ることに繋がるかもしれませんから。



「虐待はどこの家庭でも起こりうる身近な病理」

「いかに家庭は危険な場所であるか」ということは

また、書いていきたいと思います。





それでは、おやすみなさい








リフレーム・カウンセリングルームfacebook ページです ↓

https://www.facebook.com/refreme












こんばんは、
リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

ちょっとだけ
お久し振りの更新となりました。

私自身の体調不良や研修参加、
こなす必要のある締め切りのあるものを優先する選択をしておりました。

管理者ですので
こちらのブログのアクセス数について知る事が出来るのですが

更新していなくても
沢山の方々がこちらを訪れて下さっている事に

いつも、とっても感激している平野です。

ありがとうございます。
とても励みになっています。

また
どの記事へのアクセスが多いのか?についても
知る事ができるのですが、

私のブログで常にアクセスが多いのが

・性的虐待について・性暴力についての記事
・大切な方を自死でなくされた方の為の記事

・パニック障がい・不安障がいについての記事


なのです。

これらの出来事にこれだけのアクセス数があるという現実に


心理セラピストの立場として、
また、ひとりの仲間としても

とても心が痛みます。



また同時に
力があるな~、凄いな~、と感じています。

この場を通しての繋がりを感じ

とても胸が熱くなります。




       








さてさて話は尽きないのですが


釧路での対面でのセラピーの空き状況についてお知らせします。



9月6日(土) ←(今月の平日以外の面接日です)
     15:20~ の枠
**

9月12日(金) 14:10~ の枠

*①②共に受付は終了しました*

に今の所、空きがあります。

セラピーをご希望される方はお気軽にお問合せ下さいませ。


リフレーム・カウンセリングルーム
TEL:090-8638-1557 (受付時間:平日の9~17時)

メール:kazokutokodomo@yahoo.co.jp (メールはいつでもOKです)


上記、釧路市での対面セラピー以外にも
スカイプによるセラピーも行っております。

スカイプを使用できる環境をお持ちであれば
日本全国対応可能ですのでお気軽にお問合せ下さい。





また
リフレーム・カウンセリングルームでは
9月・10月に釧路市にて催し物を計画しております。

詳細が決まりましたら
またご案内をさせて頂きますね







                     






え~とですね、

実は、歯の根にばい菌が入ったとの事で
顔半分ガッツリ腫れてしまった平野でした。

1週間弱、痛みと発熱でヒーヒー言っていました
こりゃ~、研修に10のうち9は行かない選択だな・・・と前夜まで
トホホとなっていた私でしたが。

奇跡は起こりました

市販の痛み止め・塗り薬では一向に良くならなかったのですが

歯科で出してもらった抗生物質を服薬し

なんとか
「ちょっと無謀だけど、これは行っても大丈夫かも」状態となり
無事に行って来る事ができました。

行き先は
浦河町・べてるの家さんの
べてる祭り!!

もう・・・ただただ感じて涙・涙・涙の2日間


人の持つ「力」って凄いな・・・の感動の涙や、
やっぱり私は人が大好き・・・の涙


また
もちろん、私の経験・辿ってきたプロセスとも重なり
私、凄い(><)の涙


人間ってこんなに涙が出るんだな、と思いましたよ。

涙だけではなく

涙・笑・涙・笑・涙・笑・笑・笑・笑・笑・笑・笑・・・・・・・・・・・・・・・・の2日間。

本当に行く事ができて良かったです。
ありがとう、私の回復力。


景色も最高でした





そして昨夜、無事帰宅。
帰宅すると、子どもが発熱していまして

明日はこちらを更新する時間が取れないと思いましたので

今日は夜更かしして書いています。




という事で8月もとっても満喫しました。

私の言っている「満喫」とは
もちろん楽しい事や充実している事もそうですが。

痛かったり、ハラハラしたり、うまくいかなかった事・・・・・・・


これも含めて全て満喫!!

痛みとの格闘の中、

「あ~、痛いのも生きてる証拠だ~・ありがとう、私の命」
と思いました・笑








最後にこちら





リフレーム・カウンセリングルーム facebook の方では
以前、シェアさせて頂いたのですが。

こちらでもシェアさせて頂きます。




また書きますね。

それでは、おやすみなさい





女性の為の 「性的虐待被害を受けた方のための広場」

代表の平野 直美です。

リフレーム・カウンセリングルーム ブログ内に性的虐待被害を
受けられた方のためのコミュニティーを設けました。
この問題は私の心理セラピストとしての「大きな使命のひとつ」と
捉えておりますので実は私の念願の場でもあります。

「自死」という出来事と同様に
「性的な虐待・被害を受けている・受けてしまった」ということは
語られにくいということが日本の現状だと私は感じます。

性的な虐待・被害を受けていない方が・・・考えているよりも
性的な虐待・被害を受けた方がとても多く存在している事を…

また・・・
性的被害を受けてしまった方が思っているよりも・・・
実は似たような経験をした仲間が沢山存在するという事も日々のお仕事などを通してとても感じています。

誰にでも起りうる身近な問題とも感じています。

勇気を持って声をあげてみても、
母親に父親からの性的虐待を打ち明けても、母親には信じてもらえなかったり、嘘つき呼ばわりされたり、
気のせいだから忘れなさいと言われたり。
お前に隙があるからだ、と逆に責められたり、
被害者なのに逆に母親に嫉妬されたり。

周りに好奇の目で見られて悲しくなったり、ますます孤立したり。

親が子どもの眼に「あまりに不幸そうに見えている」ために
これ以上、親を不幸にしてはいけない・自分のせいで家族がバラバラになったらどうしよう・・・と健気に感じ誰にも打ち明けられなかったり。


相手が「聴く耳をもっていない」と受け容れられないという事が起ると思います。
「聴く耳をもっていない」というよりも
「聴かされても相手側がどうしたらいいのかわからないので
相手側が困るために聴きたくない」という言葉の方が伝わるでしょうか・・・。

そういう意味で性的な虐待・被害という問題は日本ではまだ
「市民権を得ていない問題」であると私は感じています。

これでいい訳がありません。
直接、性的な虐待・被害を受けた方が一番ダイレクトに影響を受けて
いますので一番手厚くケアされるべきです。


体験から何十年も経っているのにフラッシュバックが起る。
子どもの頃から理由もわからず「消えたい」「いなくなりたい」「死にたい」と感じていたり。
自分は「もう汚れてしまっているので幸せにはなれない」と
漠然と信じ込んでいたり。
リストカットをしたり、人間関係がうまく取れなかったり。
ふと気付くと、人とは違う危険の多いような人生を自ら選んで歩んでいたり。
悪夢を見続けていて慢性的に睡眠を十分に取れていなかったり。

PTSD・解離性障害・うつ病・パニック障害・パーソナリティー障害・
不安障害の診断を受けていたり。被害を受けていた子どもの頃の記憶がそこだけスポンと抜けていたり。

どんなに怖くて、どんなに悲しくて、どれだけ怒っているか、
どれだけ傷付いているか・・・

手厚くケアされるどころが経験自体が「なかったことにされる」事が
どんなにその後の人生に於いて「無力感」や
「自分の存在の価値は他の人より劣っているという誤った思考」
の原因になってしまうのか・・・。


こういった要因から「凍りついてしまった出来事・記憶」は
「安心して体験を語ることのできる安全な場」で「話す」ことが重要と言われています。
(ここでは 書く ということになります)


書くことでご自分の歴史を適切に認識して感じられるようになるかもしれません。
いざ書いてみると
「なんの感情も伴わずに出来事のみをただ書いてしまう」
ということでもいいと思います。
モヤッとしていて現実感が伴わないかもしれません。
自分の中に別の人間がいるような感じがするかもしれません。
それでも
漠然とかもしれませんが、ご自身の出している症状の原因や背景などが
性的な被害体験から来ているのでは?と感じる事ができていたり。

夫や父親、職場の上司など男性に対する怒りがどうもいつも止められないとか。
男の子どもに愛情を注げなかったり、どう育てていいか困惑していたり。

困っているご自身に気付けているのであれば何もしないより勇気を持って一歩踏み出してみることで、
少しでも、何かが変わるきっかけになるかもしれません。

同じような体験をしてそれでも必死に生き残ってきた仲間の存在を知ることで
心が少しだけでも軽くなったり、勇気が起こるかもしれません。

一歩踏み出してみたいと思われている方の「声」をお待ちしています。



*子ども時代や思春期に家族や親類・近所の人・知人
          知らない人から性的な虐待を受けた女性の方

*子ども時代ではなくてもレイプ被害などを受けた女性の方

が対象です。
男性の被害者の存在は存じておりますがこの場はこの場の趣旨から
女性限定とさせて頂きます事をご理解願います。

ここでのルールは
書きっ放し・読みっ放しで一切の意見交換はなしです。

安全性を持つ為に平野のみ管理者としてコメントさせて頂く場合があります。







残念ながら性的な虐待・被害を受けられてしまった多くの方々が
その出来事は「既に片付いた過去の出来事」と思い込んでいても・・・。
実はその出来事からの影響に翻弄され続けている人生から・・・。

安全な場・相手を見つけ、自ら声をあげ安全な相手に聴いてもらうことで。
ご自分の中で、その出来事の捉え方のなにかが変換されることを
願い、祈っています。

ひとりの仲間として・・・
        Hirano Naomi


それでは
DSC_0241 蓮一輪 超・綺麗

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