虐待の世代間連鎖

2016/01/18

虐待の世代間連鎖ということ ②


こんにちは

リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

東京では積もる程の雪が降り・・・道東もこれから大荒れになるようですね(><)

こちらを訪れて下さっている皆さまはいかがお過ごしでしょうか?



さて、以前 「虐待の世代間連鎖ということ ①」 を書きました ↓
  
    http://trackback.blogsys.jp/livedoor/naomiyo929/44830642


今回は「虐待」 保坂 渉氏:著 岩波書店 を参考文献としてまた一緒に考えてみたいと思います。


以下内容です ↓



受容しないことが最も基本的なアビューズ(虐待)だ

 精神科医・家族機能研究所代表 斎藤 学先生


情緒的ミルクが必要
 

 日本の社会では「親が愛する子どもを傷つけることなど考えられない」という
「家族神話」が根強く信じられている。それは精神科医や臨床心理士といった「心の病」を
扱う専門家の間でも同じだ。
 「子どもを虐待するのは特別な親」という偏見から、虐待がどこの家庭でも起り得る
家族病理や社会病理であるという視点に立ち、親や子どもの治療に取り組んでいる人たちは
まだ一握りにすぎない。家族機能研究所代表の斎藤学さんは、その数少ない専門家の一人だ。

(中略)

 一章から四章で紹介した子どもを虐待した四人の母親は、それぞれ育った家庭環境や
経済状況などはバラバラで、表面的には共通項はないように見える。
だがその生い立ちをたどっていくと、子どものころから、親や周囲の人たちに受容された体験が
ないまま成長してきたことがわかる。
 受容は人間が健康に成長していくためには欠くことのできない「心のミルク」のようなものだ。
「心のミルク」が十分に与えられないまま育つとどうなるのか。
「受容」という言葉を手がかりにして虐待の問題を考えてみたい。
 斎藤さんは、なぜ親が子どもを虐待するのかその背景を解き明かしていく上で、
虐待する親自身の受容体験が重要なカギになると言う。
 「子どもは親から「こういうのを親バカというのかね。あんたが何をやってもかわいいよ」
と言って受容してくれる情緒的ミルクが必要なんです。こうした「あるがままのお前でいいんだよ」
という親の受容があってこそ、子どもは「世の中に生きていていいんだ」
という自分自身に対する信頼を持つことができる」
 子どもはさまざまな欲求行動を通して親に愛情を求め、親はそれを受け入れることによって
安定した親子関係が構築されるわけだ。
 ところが親が子どもからの愛情欲求に応じなかったり、愛情を求めることを禁じて受容しなければ
子どもは「親から愛されていない」「自分は生きている価値がない」と、親の態度や言葉によって
生きる誇りや自信を失ってしまい、心に深い傷をつくることになる。

 「子どもが必要なときに親から受容という情緒的ミルクを与えられないのは、子どもが成長していく上で、
それ自体が最も基本的なアビューズになるんです。子どもの自己肯定感を傷つける親の態度は、
暴力があろうがなかろうが虐待そのものです」
 虐待は一般には身体的虐待、性的虐待、心理的虐待それにネグレクトの四つに分類されている。
私たちは虐待という言葉から、子どもを殺してしまったり、瀕死の重傷を負わせる残酷な親を
想像してしまうが、実際には親が暴力を使った虐待は一部にすぎない。

 斎藤さんが指摘するように、親が子どもからの愛情欲求を受け入れず、子どもの心を傷つけることが
最も基本的な虐待であるとすれば、まさに虐待は特別な親だけが引き起こす問題なのではなく、
どこの家庭で見られても不思議ではない光景なのだ。
 「子どもの虐待は英語の「チャイルド・アビューズ」の訳なんですが、本来は子どもの養育に責任を
持つ大人の子どもに対する不適切な行動や態度の総称なんです。
虐待と訳すと、そこに込められたいろいろな意味が落ちてしまうことに、注意しなければいけない。
親が子どもに暴力を振るったり、口汚く罵らなければ虐待にならないかというとそんなことはない。
外からは子どもをやさしくやさしく育てているように見えても、子どもが必要としている時期に
情緒的ミルクが全然ない家はいくらでもあります。
親の生産性が高く知的な家庭ほどそうではないでしょうか。お金と時間をかけて子どもを育てるが
基本的には愛がない」
 親が子どもを受容しないという不適切な親子関係が先にあって、それが身体的虐待や
性的虐待などと分かちがたく結びつくことになる。
 「身体的な虐待や性的虐待があって受容されているということはちょっと考えにくいですからね。
性的虐待では「お前がかわいくてしかたがないんだよ」みたいなところから入っていく場合もありますが
「私は望まれて生まれてきた」と思っている子はそこで「何するのお父さん」と峻拒できる。
ふだん父親から受け入れられていないという強い感情を持っていて「受け入れて欲しい」
と思っている子が被害者として、また被害を繰り返す子として何年もそういうところにとどまるわけです」
 





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さて、一緒に考えてみたいと思いますので、一旦 平野に戻りますね。

こちらを訪れて下さっている方々の中で、「ご自身がおかしいのではないか?」と

感じられていて、悩んでいらっしゃる方も中にはいらっしゃるかもしれません。

いつもまわりの人とうまく関われないと感じていたり・・・

いつも怒りや悲しみの表現のコントロールができないとご自身を責めていらっしゃったり・・・

理由もわからないけれどもず、漠然と「消えたい・いなくなりたい」と感じられたり・・・

理由がわからなければ「私がヘンだからこう思っちゃう?」

という思考になってしまうことは私はごくごく自然なことかもしれないと思っています。

でも、本当にご自身がヘンだから、そう感じられるのでしょうか?

ここに書かれてある本来ならば

子ども時代に必要であった「受容」「心のミルク」は十分に満たされてたと感じられていますか?

親が子どもからの愛情欲求に応じなかったり、愛情を求めることを禁じて受容しなければ
子どもは「親から愛されていない」「自分は生きている価値がない」と、親の態度や言葉によって
生きる誇りや自信を失ってしまい、心に深い傷をつくることになる。

と書かれていますね。

その通りだと私は思っています。





では、ここからまた参考文献に戻りますね ↓


 では子どもが親から受容されないと、どんな問題を抱え込むことになるのだろうか。
子どもは「親から愛されていない」というメッセージを受け取ると、
自分は「親に愛される価値もないのだ」という自己否定感を強く持つ。
 「受容体験のない子どもは自己評価が低いですから、どうしても「もっといい子にしていなきゃ
親に受け入れられないんじゃないのか」と思い込む傾向がある。
親に気に入られるように振る舞い、そのためには自己主張をせず、自分の感情を押し殺して
「いい子」を演じようとする。自分に自信がなくて傷つくのが怖いから、自分の行動を
「このぐらいだったらいいですか」と言って、いつも親や世間の顔色をうかがいながら、
迎合していくというのが彼らの生き方です」
 子どもが親に受け入れられようと、自分の欲求を抑え込み「いい子」を強迫的に演じるとき、
子どもは自分のためではなく親の欲求を満足させるために行動することになる。
 本当であれば、親が子どもの欲求を満たす役割を果たして子どもは満たされるはずなのに、
親子の役割が逆転してしまい、子どもは親に利用された人生を生きなければならなくなる。
 しかも、こうした子どもは相手の欲求を満たすという行動を、親に対してだけでなくどこでも再現する。
自分の顔を隠し相手の顔色をうかがう生き方は、感情を鈍磨させ生きる喜びも消し去ってしまう。
 子どもにとっては当然強いストレスとなるが、自分が受け入れられているという安心感がないので、
ますます相手の欲求を満たそうとする悪循環に落ち込みやすい。
それは四人の母親の軌跡を見てもよくわかる。子どもが自分の人生でなく親に利用された人生を
生きることは、暴力的な意味合いが濃い虐待のイメージとは結びつきにくいが、
心を殺されていく虐待であることがはっきりする。
 「虐待の親を治療していて一番むずかしいのは、「いろいろあったけど、結局、私は世の中に
受け入れられていないんだ」という受容体験の欠如による心の傷が、最後まで残ってしまうことなんです。
自分が子どものころ親に暴力を振るわれたりした虐待の場面を思い出す、フラッシュバックに
苦しむことは珍しくありませんが、それは比較的早く取り去ることができるんです。
でも子どもが親に受容されず、逆に親の欲求を満たすために利用された傷は、誰か受容してくれる
人にめぐり会えればいいのですが、大人になってもさまざまな心理的な不適応をもたらす原因になり、
最も厳しいアビューズではないでしょうか。
 親が受容することなく子どもを利用するという虐待では、子どもたちは必ずしも親に受け入れて
もらおうと「いい子」を演じきれるとは限らない。時には受容されない怒りや苦しみが、想像を
絶する強烈な攻撃的なエネルギーとなって外に向かうこともある」




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ここから、再び平野に戻ります。

「子どもが親から受容されないと、どんな問題を抱え込むことになるのだろうか」

ということについて書かれていますね。

子どもは「親から愛されていない」というメッセージを受け取ると、
自分は「親に愛される価値もないのだ」という自己否定感を強く持つ。

この子どもの心理は私は当然だと思います。

なぜなら子どもは、親を愛しているからです。

たとえ、どんな親であっても無償の愛を求め、それが叶わぬことだと子どもながらに理解し

絶望しながらでも育つということを考えると、子どもって本当に健気ですね。



そして

 「受容体験のない子どもは自己評価が低いですから、どうしても「もっといい子にしていなきゃ
親に受け入れられないんじゃないのか」と思い込む傾向がある。

と書かれていますね。

過去の私自身の「自己評価の低さ」についてはこちらで散々書いてきましたね(笑)

大人になってからもまわりでなにか問題が起きると、自分は全く悪くないのに

いちいち「私のせいか?」とビクビクするような人生でした。

まわりの集団がなにかコソコソ話していたら、自分のことを言われている訳ではないのに

「私のことを悪く言っている?」といちいち反応したり。これらは無意識レベルで起こっていましたので無自覚でしたが。



親に気に入られるように振る舞い、そのためには自己主張をせず、自分の感情を押し殺して
「いい子」を演じようとする。自分に自信がなくて傷つくのが怖いから、自分の行動を
「このぐらいだったらいいですか」と言って、いつも親や世間の顔色をうかがいながら、
迎合していくというのが彼らの生き方です」


私はケアに繋がるまで本当にこの通りに生きていました。

自分の感情をいつも押し殺して相手に合わせた、いい子を演じようとばかりしていると

自分がいったいなんなのかわからなくなっても不思議ではないと私は自身の経験からそう思います。

世間様の顔色もいっぱいうかがってきました。

「ひとに迷惑をかけるな」「ひとに笑われないようにしろ」

「お前のせいでうち(家)が世間(隣近所や親戚など)に笑われる」

などの言葉や態度(非言語)がいつもあると、とても辛いと思います。

今は心の傷を癒して何年も経ちますので自己評価はとても上がりましたが

それでも「傷付く」ということを「過剰に」恐れている自分も時々は存在しています。

相手に見捨てられて自分が傷付くのが怖いから最初から人と深くは関わらない癖がある・・・とか。

「人は自分を裏切るものだ」

「でも私は強いから裏切られても全然、大丈夫だから」を前提にそこ覚悟してから関わる傾向がある・・・とか。

本当は「自分をひどく裏切る人ってそんなにはいない」と既に知っていたり

もしひどく裏切られるような体験があったとしたら

その時はもちろん傷付くのは悲しいのに!です(笑)



癒してもトラウマはゼロにはなりませんが、もちろん今ではここに翻弄されなくなっている

自分がいます。生涯通して繋がり合っていたい先行く仲間・共に行く仲間もいっぱいできました。


心を殺されていく虐待であることがはっきりする。

と書かれていますね。

繰り返しになりますが本当にその通りだと私は思っています。

まずは「自分の心の傷に気付けて」本当に良かったと思っています。

そして「虐待の世代間連鎖に犯人はいない」という知識を頭だけではなく

身体にストンと落とし込ませられるまでケアを受け続る選択をしてきて本当に良かったと思っています。



生きていくことが本当に楽です。







それでは、また



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naomiyo929 at 10:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015/09/06

Autumn! 2015

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9月の日曜日…皆さまいかがお過ごしでしょうか^^

昨夜、毎年恒例のどんぱく花火大会に行って来ました平野です。



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毎年、張り切って近くまで行き見上げるのですが…今年は体調不良さんがいたので離れた場所の車内から。

でもでもメッチャ綺麗でした。

花火の下の輝きは漁船。


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港にズラリと停泊していた漁船も
こうやって見ると見事に綺麗!

時期的にイカ船やイワシ船でしょうか。

巻き網船団ってもう釧路には入ってないのかな?

昔は巻き網船団が入ると随分、釧路は賑わっていましたね。



そしてこの花火が終わると私の中では秋。

今年は花火前から…陽射しや
やっぱり夏とは違う桜秋の映え具合などで秋を感じてはいたのですが…

私は割りと強情な所がありますので(笑)

「花火が終わるまではまだ夏は終わっていないと思っていたい感」がありました。

なので私の中では今日から2015の秋がスタート^^




topの写真は今日ブラっと行って来ました鶴居村の「どれみふぁ空さん」のソフトクリーム。

私は「ひとりソフトクリーム研究会」を結成しています(笑)

ここはガーデンがいい感じだったりパンやケーキも売っていて

いつかゆっくりとお茶を飲みに来たい。





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昨年見付けたコスモス畑は



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今年も綺麗に咲いていました^^








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牧草畑に鶴の親子が
驚かさないようにこっそりと車内から見守る私。




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真ん中の色の違う個体がきっと今年生まれた子どもですね。




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悠々と…でも結構なスピードでどんどん車から離れて行きました。



ある程度、子どもを自由に歩かせて且つ人間(私ですね、ごめんちゃい^^:)から
遠ざけるように促して歩んで行く親鶴。

決して過干渉じゃないですね。ここ見習おっと(…確か昨年も同じエピソードがあってこう思った^^:)


過剰に…あまりにも守り過ぎると子どもが巣立ってからが大変になるかもしれませんから。

「あれダメこれダメ」
「あの子と付き合っちゃダメ」
「習い事はこれをしなさい」
「志望校はこうしなさい」
「将来は○○になりなさい」
「そんな服装や髪型はダメよ 世間様に笑われるわ」

まだまだありますね。

いつもいつも何年間もこう言われ続ける生育歴を持つと子どもは苦しいと思います。

「私はこうしたいんだ」という年齢に応じた大切な発達課題が達成されていきません。

まるで真綿で首を絞められながら育つ感じ。

これは親が子どもの人生に侵入している暴力ということになります。

子どもが自分の意思で人生を選択して切り開いていくといういづれ必要となる責任を奪ってしまいますね。

親が子どもの人生を乗っ取っちゃうとも言えると思います。

なにが問題かというと、このような生育歴を持つ子どもは

「大人になってからも自分の人生を自分で選べなくなってしまっている」ということが多々起こり得るからです。

私って…私の人生っていったいなんなんだろうか?

と感じながら生きていくのってしんどいと私は思います。

自分の人生なのに親の望む人生を歩んでいる感じ…

自分の人生を生きていない感じ。

これって苦しいですよね。


なので
「これはあなたのためだから私の言う事を聞きなさい」
「お前のために言ってやってるんだ」

そして子どもがなにか失敗すると

「ほらみなさい!私の言うことを聞かないから!」と責められて罪悪感を植えつけられる。

しかも無実の罪の罪悪感ですよね。

失敗しない人なんていませんから。


これらの言葉があった時に「あれ?」と疑問に思える「力」を信じていいと私は思います。

これらは心理的虐待ですので。

そしてここには「実は犯人はいない」ということを知っておく事も大切なポイントだと思います。



もし残念ながらノビノビと育つことが出来なかったな~、というご自覚がおありの方は

大人になった今、ご自分でご自分をノビノビと育てていくことができると私は自身の経験からそう思います。






今日は鶴の親子の様子を見て…なんだかジーンとしました。

私もせっかくの子育てのチャンスを「いかに楽しんで」「母・人間としてのより良い成長の機会」
にしていきたいな~と日々、思っています。




それでは、また





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naomiyo929 at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015/05/20

虐待の世代間連鎖ということ ①


こんばんは、

リフレーム・カウンセリングルームの平野 直美です。

今朝はこちら ↓ が咲いていました^^






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ピンクと紫色の芝桜と、あやめでしょうか… 綺麗~


この時期、ついつい花だらけの投稿になってしまう私です(笑)


生命が動き出す季節!という感じがして

とってもパワーを貰えます。





さてさて、

先日の札幌滞在では、お仕事をさせていただく事と

学びもしてきました。


今回の学びのテーマは

~子どもへの虐待~
身体的、精神的、性的虐待
そして、育児放棄というネグレクト


(その他にもたくさんのテーマがあったのですが)




ここ最近、私が感じていることは

「虐待」というと、今の日本での一般的な捉え方として

子どもが骨折や大怪我をするまで殴る、蹴る、

子どもが死亡してしまった…


レベルまでいかなくては、「虐待だ」と

認識されにくい…のか、と感じるエピソードがありました。



もちろん、

大怪我や、死亡に至ってしまう前に、なんとか手を打てなかったのか…

と、新聞報道などを見る度に ひとりの母親として

ガタガタと崩れてしまいたい程に、心が痛みます。


同時に、ここまでいかなければ虐待とは

考えない、捉えない方々が大勢存在する事も

とても感じています。


今までの活動の中で、散々発信してきているつもりですが

今後もセラピストの役割のひとつとして

受信と発信をし続けていきたいと思います。



身体的虐待は、ある意味見付けやすいのかもしれません。

目で見ることができますから。

服に隠れて、見えない部分のアザなどは

身体測定や、体育、部活動の着替えの時に

見かけた…気になった人が誰か信頼できる

大人に相談してみて欲しいです。


大人の私たちは、是非子どもたちが

「信頼できる大人」と感じられるような大人でいたいですね。

私たち、大人のひとりひとりが

周りにいる子どもたちと

子育てや人生そのものに苦しんでいるかもしれない母親たちに、「関心という愛」を

向けられる社会になっていくといいですね。

アメリカでは、虐待の可能性を知った大人が

通報しなくては、その大人が罰せられます。

州によっては、知ってから何十時間以内に通報しなければならない、

という明確な規定を設けている州もあるそうです。

日本は、アメリカほど厳しくはありませんが

もし、間違っていてもいいので

なにかおかしい…と感じた場合は

勇気を持って行動できるといいですね。

その勇気がもしかしたら誰かの

命やこころ・いま・未来を守ることに繋がるかもしれませんから。



「虐待はどこの家庭でも起こりうる身近な病理」

「いかに家庭は危険な場所であるか」ということは

また、書いていきたいと思います。





それでは、おやすみなさい








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naomiyo929 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)